「セッキョ―」をした

僕は子ども達に「セッキョ―」をするのが好きな方だと自分では思っている。それが級外になってその時間が激減した。受け持った時間に予定の勉強を終わらせないといけないから、そんなこと言ってる場合じゃない。

 

そんな僕だが11月のある日、4年の子ども達に「セッキョ―」をした(してしまった)。

 

「(キツイ言葉が飛び交うクラスの子ども達に対し)みんな、心の中に『頑張るぞ』とか『もっと素敵な自分になりたい』っていう気持ちと、『あ~あ、邪魔くさいな』とか『ズルしちゃおうおかな』って思う自分がいるんじゃない?先生もおんなじだよ。(黒板に♡とギザギザマークを書く)」

 

「でも、このクラスのみんなの心がこっち(ギザギザ)ばかりだったら、どう?チクチク言葉ばかりがクラスの中で飛び交うことになる。それって気持ちいい?先生は嫌だな。」

 

「(♡マークを指さし)こっちのフワフワ言葉が多くなればなるほどみんなの居心地もよくなるんじゃないか?」

 

「そのためには、まず、友だちの言うことを最後まで聞くことが大事なんじゃないか?途中で『それ違う』とか言われたら自分も嫌でしょ?」

 

「先生は前にクイズを出したね。『4年生になってとれるものな~んだ』って。答えは『つ』だったね。(←歳の数え方が変わる。1年生は「なな」、2年生は「やっ」、3年生は「ここの」、そして4年生は「とお」)一人一人がフワフワ言葉を使った瞬間、それは『つ』が取れた、って言えるんだ。でもそれはその時だけのことだから、そんな瞬間を積み重ねるとこのクラスが♡でいっぱいになってギザギザが減る。その中でこそ人間って成長するものなんだよ。」

 

「もう今は11月だ。君達が4年生なのもあと4か月だ。大事なことは続けること。一人一人が意識して♡を増やしていくとこのクラスは変わるし、君達一人一人も変わるよ。そんな時は先生達、見逃さないから。」

 

「こんな風に自分で自分を成長させてくことを難しい言葉かもしれないけどこう言うんだ。(黒板に『自立』と書く)自分で立つって書いて『じりつ』と読みます。自分で考えて行動するってことだ。先生たちは君たちに『自立』してほしくて授業をしているんだ。もちろん自分で考えて間違うこともあるよ。その時は先生が『自分で考えたのは◎。でもそれは間違っていると思う』って言うから。どんどん自分で考えて行動してほしいな」

 

こんな様なことを言ったような気がする。そうして話が終わって号令をする時に早速、自己中心的で友だちに対してすぐに否定的なことを言う女子が、友だちを認める発言をした。僕はすかさず、「いいね。〇〇さん、さっきと違う言葉遣いだよ。」と言った。どこまで、そしてどのくらいの子に僕の言葉が心に響いたのかは分からないが、その後の授業はとてもやりやすくなった。

 

こういう風に担任の価値観を伝えて、しかも子ども達に納得させる作業は学級経営をする上で絶対しなければいけないことである。それには担任が『自分の言葉』を持っていなければいけない。自分が思っていることを腹の底から話す『情熱』を持っていなければいけない。

 

そして「セッキョ―」をするのは本来なら4月だ。4月5月に自分の価値観を伝えてそれを実践できたら認める、そういう作業を授業をしながら続けていくと6月には「自分たちで動く」子どもに育つ。しかし今年度はコロナ禍でそういうことができなかった。今頃4月に言うべきことを言っている状態だ。子ども達が、そしてクラスがおかしくなるのも当然だ。でもできていないのなら今言うしかない。

 

ということで僕は今あちこちで「セッキョ―」と「いつでもどこでも誰とでも活動できるための勉強」をしている。