hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

山田洋次とクリント・イーストウッド

山田洋次監督の時代劇三部作(「たそがれ清兵衛」(2002)「隠し剣 鬼の爪」(2004)「武士の一分」(2006))を観て、山田洋次は日本のクリント・イーストウッドなのかな、とふと思った。

 

3作品の中で僕の一番好きな「隠し剣 鬼の爪」を観ながら考えてみよう。

 

まず、ほぼ時系列で話が進んでいく。観る人にとってはありがたい。ほんとに必要なところだけに過去のエピソードが挿入されることがあるだけだ。物語の内容がつかみやすいこと、これは両者の共通点だろう。きっと気を配っているところでもあるのだろう。

 

次は、「運び屋」の記事にも書いたが、一つ一つのエピソードのクオリティーが高い。小さな、そして大きなエピソードを丁寧に積み重ねていくことで話を進めている。さっき書いた物語の内容をつかみやすいこともそうだが、脚本の段階でかなり練られているのだろう。山田洋次朝間義隆とのコンビは鉄壁だ。

 

きっと映画を観た人はこの場面がお気に入りだ、とそれぞれが思いながら繰り返し観ているに違いない。僕はクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観るとタオとのやり取りや、タオの姉が絡まれているところを助ける場面、「グラン・トリノでデートすればいい」とタオに語る場面、死ぬ前に身だしなみを整える場面などを繰り返し観る。

 

隠し剣 鬼の爪」ではご多分にもれず主人公片桐宗蔵(永瀬正敏)とその女中きえ(松たか子)との心の交流の場面を繰り返して観る。「旦那はんのお言いつけでがんすか?それは?」「うんだ。俺の命令だ。」「わかりました。ご命令だば仕方ありますめい」は必殺のやり取りだ。そして最後に主人公が隠し剣を披露するところ。これらの場面を何回観たことか。また、「せばこれで」「~でがんす」と言いたくなる人はたくさんいるはずだ。

 

そしてクリント・イーストウッドは政治的なものをテーマにした映画も撮っている。普段漠然と思っていることがいろいろな脚本を読むことで少しずつはっきりしてきてこのテーマで映画を撮ろう!って思うのかな。それとも世界各地から寄せられているであろう脚本を読んでピンとくるのかな。山田洋次が撮る歴史物も政治的といえば政治的かもしれない。

 

隠し剣 鬼の爪」の裏テーマはもしかしたら「江戸末期から明治への日本の道」になるのかな。女中だった娘と武士という身分を捨てた男が最後に蝦夷へと向かう。城中では、洋式の兵隊の訓練をしている。しかし同時に謀反を起こした友人を打てと命じられ、苦悩する宗蔵。謀反を起こした男の妻が老中に躰を張って助命を嘆願する悲しさ。

 

これらの場面が混然一体となって物語は進むが、とても分かりやすい(初めに書いたか)。

 

あ、役者のキャスティングが絶妙なのも両者の共通点だ。どこから探してきたんだ、っていう人がいつも出てくる。そしてそれがピタッとはまっているんだよなあ。

 

最後にシーンごとの美しさ、安定感とでも言えばいいのかな。安心して観ていられること。この安定感こそが両者の最大の共通点なのかもしれない。

 

分かりやすい、素敵なエピソード、時に政治的、キャスティングの妙、そして画面の安定感、これらが僕の考える二人の共通点である。

 

僕は、山田洋次の代表作の「男はつらいよ」も観たことがない(ちらっとはあるよ)ので、こんなこと言うのも何だか口幅ったいが、クリント・イーストウッド山田洋次は近いところにいると思う。勘です。