hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

新婚旅行のことを覚えているかい?

新婚旅行といえば、もう20年以上前のことだが、覚えているか試してみよう。認知症予防になるかもしれない。

 

僕は教員になって2年目の終わりに結婚し、3年目の夏休みに新婚旅行をした。入籍が3月、そして6月に結婚式をして、7月下旬(夏休みの1日目から)に新婚旅行、というとびとびのスケジュールだったが、その方が僕たちには合っていたようだ。

 

終業式の前日、つまり旅行に行く前の日の夜、妻は学校の飲み会に参加していた。それだけでも結構ムッときていたのだが、帰って来たのが0時を回ってからだった。相当ムッとした顔にも気づかない妻はそのまま旅行の用意もしないで寝た。終業式の日の午後は年休を取って旅行のチェックをしていたが、一向に妻は帰ってこない。18時ごろ羽田、その後成田エクスプレスを使って成田空港近くのホテルにチェックインの予定だった。だからその時点でかなり頭に来ていた。

 

ようやく3時ごろに帰って来た妻は明るく「準備しなくちゃ」と言ってほんとに明るく準備をし始めた。付き合い始めて初めてじゃなかったかな、こんなに頭にきたことってくらい腹が立っていた僕は一切口を聞かなかった。

 

「準備できたから行こう」と言う妻に僕は反応できなかった(典型的なA型人間の反応だ。怒りを溜めるだけ溜めてしまっていたんだ)。「どうしたの?行こうよ」と言う妻に僕は「こんなんじゃ行きたくないな」と言った。妻はきょとんとしている(彼女はO型)。彼女なりに熟考したのか「昨日、遅くなってごめんね」と言った。それでも僕の怒りは収まらない。家を出なければいけない時間が迫っている。ほんとに大人げないのだが「こんなんじゃ行けない」ともう一度言った。結局ぽつりぽつりと僕が不満を話して妻がもう一度謝って、やっと行こう、となったのはもうギリギリの時間を過ぎてからだった。

 

すぐに用意をして何とか飛行機に乗った。乗ってしばらくすると様子がおかしい。やがて「カラスがエンジンに巻き込まれたようなので飛行場に戻ります」というアナウンスがあった。結局1時間くらい待たされた僕たちは成田エクスプレスにも乗れず、在来線で成田空港まで目指すことになり、ホテルに着いたのはもうその日を過ぎようかという頃だった。

 

そんなこんなで始まった(まだ始まっていないか)新婚旅行だったが、不思議と旅行中は喧嘩をしなかった。とりあえず新婚旅行といえば出発前のことを一番に思い出す。

 

こういうパターンはこのあと生活するうえでしばらくは繰り広げられることとなった・・・。そうこうするうちに時々「ミクロ」(器の小さい男だねぇ、の意)と呼ばれるようになった・・・。

 

あ、行き先はインドでした。当時妹尾河童の本にご執心だった妻が「インドに行きたい」と言ったからだ。インドでの道中もいつか書いてみるか。

 

 

 

 

そしてどーでもいいかもしれないけれど・・・(ホントはどーでもよくない)。

昨日の「そこまで言って委員会」という番組で平沢進の曲が2曲(「環太平洋擬装網」「現象の花の秘密」)使われていた!すごいことだ。

 

 

 

もう一つ、今週の漫勉neoは待ちに待った「諸星大二郎」の回だ。うーん楽しみだ。