hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ぐるぐる周っているだけ

物事には「核」というものがある。「肝」と言ってもいい。授業にもある。この時間はここを押さえなければいけない、ということが「核」であり「肝」である。

 

例を挙げると、面積の学習で複合図形(L字型)の面積を求める場面がある。いろいろな方法でL字型の面積を求めることができるが、結局長方形や正方形を基にして求めているという事に帰結する。そのことに(板書などを通して)児童が気づくように仕向けることがこの時間の「肝」なのだが、それが上手くいかない。

 

文章も同じだ。これを表現するためにはこういう文をこの言葉遣いで書かなければいけない。ということがあると思う。その「これ」の存在は分かるのだがぼんやりしているのでその結果、代名詞が多くなったり主語がぬけたりすることになる。

 

僕は、どうも「核」「肝」の周りをぐるぐるしているだけじゃないかと感じる時がある。というかほとんどそんな感じだ。「核」の存在は分かるが、それがぼやけているから、そこに到達できずにイライラしている感じとでもいおうか。いや、もしかしたら「核」の存在は分かっていないのかもしれない。

 

要するに突き詰めて物事に取り組んだり考えたりしていないのだと思う。

 

何かを見たり聴いたりして、これはいいこれはあんまり、という判断はできても、いざ自分がやるとなるとどうも上手くできない。続けて何かに取り組むことができないから、かもしれない。

 

優れたリーダーなり、物を創る人は「核」「肝」が明瞭に見え、それに向かって真っ直ぐに迫り、つかむことができる人なんだろう。

 

だから仕事の面で言うと、僕はさまざまな児童を巻き込んで授業はできる、と思う。生徒指導的な面で言うと。しかし、その学習で大切なことに迫る力が弱い。それでいつも、大切な事の周りをぐるぐる周っているだけのように感じる。