hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

UWF出身の「プロレスラー」

プロレスラーシリーズ、4人目は、「赤いパンツの頑固者」田村潔司である。「プロレスラー」とわざわざ「 」つきで表した理由は、田村の発言から分かると思う。
 

「蹴り一つ取っても«間»があってね、お客さんの雰囲気を感じとって、どういう当て方をすればいいかという闘いでもあるから。同じ蹴りで倒す、関節でギブアップさせるにしても、0コンマ何秒の違いで、お客さんの沸き方が全然違ってくる。技術の攻防のなかで、お客さんに最高のカタルシスを与えるっていうのは、凄く難しい作業なのよ。だから、ただ蹴ってダウンさせて『ワー!』っていうのは誰でもできるけど、お客さんの感動を自分でつくり上げるっていうのは凄く難しい。そんなことにこだわりすぎるから、俺は孤独になるんだけど。(笑)」(「証言UWF最終章」からの引用)

 

田村の発言を使えば、「ただ蹴ってダウンさせる」のが、「格闘技(あるいは真剣勝負)」なのだ。しかし彼はUWFという「真剣勝負」を謳った団体で、このように考えていた。そして「お客さん」を意識すること、感動させることを第一に考えて試合を「つくり上げた」。この発言を読むと、まるでアントニオ猪木の発言のようにも聞こえる。だから田村は「 」つきの「プロレスラー」なのだ。UWFの他のメンバーで同じように考えていたレスラーはいたのか?そこら辺はちょっと微妙である。「真剣勝負」を謳いながら「プロレス」をしていた他のレスラーは無意識にジレンマを感じながら、試合をしていたのではないだろうか。

 

そんな田村も「真剣勝負」の世界に入っていかざるを得ない状況になった。それからの田村の戦績は決して良くないが、例えば体重が違い過ぎるボブ・サップと戦うなど、プロレスラーとしての姿勢・凄味を感じながら僕は観戦していた。

 

大雑把な言い方だが、「プロレス」には物語があるのだ。そこには喜怒哀楽がある。それに僕たちは酔いしれた。昭和のプロレスは、決して古びないと思う。