学級経営が上手くいっている時=俺がイジられキャラになる(「私」の時)

通常学級の担任を外れて大分たつ。担任を外れて強く思ったのが、「学級担任の責任の重さ」である。級外は1時間1時間が勝負となる。それはそれで大変なんだけれど、なんだかんだいったって1時間である。その時間にトラブルが起きて、収束しなかったら担任に託すことになる(勿論そうならないようにしましたが)。初めて級外(少人数担当)になってみて学級担任の責任の重さが分かった。

 

改めて学級担任時代を振り返ってみると、クラス作り(友だち同士の関わりを深める事)に力を入れていたなぁ、と思う。友だち同士の関わりが深い集団の中でこそ、人は成長すると思っていた。僕は、放課後子ども(達)と話すのが好きだった。また、自主勉ノートのコメントにも力を入れていた(←結構踏み込んだことやふざけたことを書いていた)。そうこうするうちに、学級のリーダー的存在になってきた子ども達から情報を仕入れたり、こちらの思っていることを伝えたりする機会も増えてくる。特に高学年ならリーダー的存在の女子を手中に収めなければいけない。そのために僕がやったことは、イジられキャラになることだった。やったことというか自然にそうなった、という方が正確かな。当時、今では到底信じられないだろうが、学校では喫煙が許されていた。僕は、運動場に隣接している用具室のそばで隠れるように、しかし運動場で遊んでいるリーダー的存在の女子に見つかるように煙草を吸っていた。案の定その姿を見つけた女子は、「先生、煙草なんか吸ってだめじゃない。」と言いに来る。「いや~見つかっちゃったか。悪い悪い。」とかなんとか言いながらクラスについての世間話が始まるのだ。そこで、今のクラスで気になる子のことを相談したり、リーダー的存在の女子をからかったりして時間を過ごす。そうすると、次の日の自主勉ノートに、「昨日は言わなかったけれど・・・」みたいなことを書いてくるわけだ、リーダー的存在の女子が。それに対して力いっぱいのコメントを返すことで自主勉ノート(勿論勉強もしてある)が交換日記みたいになってくる。そうなればしめたものだ。

 

リーダー的存在の児童の話ばかりしてきたが、それを足掛かりにして、他の児童も巻き込んでいくように仕向けると例えば、放課後に少人数でクラスのことについて話し合ったり、遊んだりすることができる。そして友だち同士の関わりが深まっていくにつれ、授業での発言が増えてくる。特に今までお客さんだった児童が発言するようになる。

 

そして僕は、公私の「公」の面では、エラソーに「君らはなー…」とか言い、「私」の面では、どんどんイジられキャラになっていった。大分俺のことをイジるようになってきたな、というのがクラスの状態を知る尺度だった。