hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

高木展郎先生の講話(2012.8.31)

 高木先生の「聴いて 考えて つなげる」授業づくりの話は、自分にはとても納得できるものです。若い先生に言いたいのは、誰でもいいから「いい!」と思った先生の話は何度も何度も聞かないと自分のものにならないんじゃないか?ということです。1回聞いて「なるほどなるほど」で終わっている人が多いんじゃないかと思う今日この頃です。授業を見ていても、自分の都合の良い反応が出たら、それにすぐに飛びついて授業を進める人が多くなったように思います。

 

(講話より)←昔どこかのブログから引用させてもらったものの一部

 子どもたちは学校に何を求めているか。それは学ぶことではなく、友だちと関わることである。本当の意味で、子どもたち同士が関わり高め合う授業をしていかなければ、ニーズに合わない。
 学校の授業を参観すると、本来は友だちに向かって話すべきなのに、子どもたちは教師に向かって発言していることが多い。
 また、教師は授業に困ると「となりの人と話し合いなさい」「グループで話し合いなさい」と子どもたちに丸投げするが、これは安易だ。参観者にはいかにも話し合い活動をしているように見えるが、子どもたちは互いに意見を持てていないので、話し合いが深まらない。形だけの話し合い活動になっている。本来の交流とは、相手から聞いたことを、説明できるようになることだ。

 課題に対する正解を求める授業ではなく、自分の考えを持たせる授業を行うべきだ。思考のプロセスが大切なので、自分の考えを書かせるようにしたい。
 低学年のうちに学びのスキルを教えることが大事である。分からない時に「分からない」と言えたら、うんと褒めてあげるといい。
 「分かりましたか」と聞く先生、正解を求めて挙手した子を指名して授業を組み立てていく先生が殆どだが、分かっている子を指して正解を言わせても思考力は育たない。分かっている子は学ぶ必要がないのだ。分かった子だけで発信して授業を進めれば、分からない子は分からないままで、学習内容が身に付かない。学力の二極化が進むだけだ。
 「分からない」という子がいたら、「分からない子が分かるような説明を考えよう」と教師が問うことができる。すると、分かった子にとっても、分からない子にいかに理解してもらうかについて、より深く考える機会になる。
 また、友だちの発言に対して「いいです」「同じです」とオウム返しのように反応させる教師が多いが、それはよく考えて聞いていないからそういう受け答えになる。「今の子と違うことを言ってごらん」と呼びかけ、ラーニングスキルを高めていく。友だちの発言に対して、自分なりに反応し、反応を返していくようにしたい。対教師でなく、子ども同士が学び合えるスキルを高めていきたい。

 
「分からない」「困った」が安心して言える、受容的・共感的な態度、全ての子どもたちが居場所のある教室作りがそのような授業のベースになる。
そして、どうする?どうして?なぜ?わけは?だから?どうしたい?どういうこと?と子どもが考えるような問いかけをしていく。子どもの発言を復唱するのではなく、「○○さんがここまで分かったんだって。みんなでこの次を考えていこうね」と子どもの意見をつなげていく。時につなげる練習をし、「いくつつながったかな?」と聞いてみることがあってもよい。学習内容を伝達するだけの授業はこれからの学習にそぐわない。
 児童が説明したくなる授業(教師は説明しない しゃべらない)
 児童の思考を支える授業(考えることを支え、促す指示)
 児童の発表を教師はまとめない、児童の発言を奪わない、児童の言葉を復唱しない
 児童の「聞く」を鍛える


 子どもたちが課題に興味をもち、問い続け、自分たちで分かっていくような道筋を見えるようにすることが教材研究である。
分かった子だけでなく、クラス全員が分かる授業をすることが授業のプロだ。そうなるようなカリキュラムを作っていかなければならない。

 踏み出す勇気=教師はしゃべらない
 学習課題が適切なら、子どもたちはしぜんと語りだす
 今までの、発問→説明→指示の授業は、もう変えましょう。
                               (傍線 hanami)