hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

確信に満ちた音楽~グレン・グールドとギドン・クレーメル~

グレン・グールドの「ゴルドベルク変奏曲」、ギドン・クレーメルの「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」(どちらも2度目の録音の方)。この2曲が僕の聴くクラシック音楽である(どちらもバッハだ)。

 

これらの曲は、確信に満ちている。素人の僕でも分かるくらい圧倒的に確信的な音だ。それが聴いていて気持ちいい。

 

「文体」について述べた時、僕はその秘密にちっとも迫ることはできなかった。今回も同じである。何故この2人のプレーヤーが奏でるこの曲に、確信が満ちていると言えるのかを説明できない。聴いたら分かるでしょ?という言葉しかでてこない。「文体」にも「楽器演奏」にもスキルがあるのは当たり前で、スキルが確信のある音楽につながっているのも当たり前の話だが、そういう方面では説明できない。

 

ただ参考になるものがある。どちらも再録なので、初回録音盤があるということだ。それを聞くと違いがよく分かる。乱暴な言葉遣いで申し訳ないが、初回録音盤のグールドは「チャラい」。クレーメルは「鈍重」。こんな言葉が浮かんでくる。クラシックを聴いている人には怒られそうだが。しかし、一度録音をしたのにもかかわらず、再録音をするということは、この曲に魅力があり、さらに良く演奏したい、演奏できるという気持ちから生まれたのだと思う。

 

その結果、初回録音とは違う確信に満ちた音楽が生まれた。

 

 

参考までに花村萬月が、著書「ウエストサイドブルース」でグールドに言及している個所を引用しておきます。(P238~P241)

リヒテルのリズムがブルースっぽい、いうてたやろ。」
「これもな、きっと気に入る。」
佐恵子が手わたしてくれたのは、グレン・グールドのバッハだった。〈Three Keyboards Concertos〉とある。
「これに入ってるチェンバロ協奏曲第三番ニ長調、いまからかけたげる。」
「この演奏の三分三十三秒あたりからや。」

 

光一は、それどころではなくなっていた。
ほんとうにブルースが聴こえてきたのだ。
リヒテルはリズムがブルースだった。
グールドは、分散している和音と進行が、ブルースだった。
背後で控えめに鳴る弦に、グールドの抑制のきいたピアノが絡む。音をためるよりも、ジャストビートで一体化しながら、粒だちのくっきりしたまま左右に跳ねる。

 

長音階であるからこそ、この響きが醸しだされるのではないかと直感した。

 

ともあれ、ジャストビートでもこうしてブルースフィーリングが横溢するのだ。