全ては「アビイ・ロードからの裏通り」から始まった 

ロック・ミュージックを聴くようになった僕は、「ミュージック・ライフ」「音楽専科」というミーハーチックな雑誌から、「ロッキング・オン」という雑誌を読むようになった。この本は、前述の雑誌と違って、ミュージシャンのインタビューはほんの少しで、ほとんどロック評論が掲載されていた。渋谷陽一などの創立メンバーが書いたものから、一般のリスナーからの投稿まで掲載されていたのだが、創立メンバーの一人が松村雄策である。

 

ロッキング・オン」に掲載されていたロック評論は正直言って難しかった。でも当時の僕はそれを読むことがエライことなのだと思い込んでいた。だから分かったような気になって意味も分からないのに、友達に「ロッキング・オン」で使われていた言葉や文章を使って喋っていた。そんなライターの中で松村は異彩を放っていた。何しろ文章が分かりやすかった。内容は前半に自分の日常のことを書いて、後半はレビューするアルバムのことについてちょこっと書くというのが大体のスタイルだった。しかし、その後半部分にはギラっと光る文章もあった。いつしか僕は、「ロッキング・オン」を買ったらまず最初に彼の文章から読むようになった。

 

そのうち、これまでの文章をまとめた本が出るという告知があった。タイトルは「アビイ・ロードからの裏通り」。発売日に早速本屋へ行って購入して、すぐに居間で読み始めた。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

 

読了後、「1981年11月17日火曜日」と読んだ日を本の裏表紙に書いたのは後にも先にもこの本だけである。また気になる文章にラインを引くようになったのもこの本からである。それほど僕にとっては衝撃的な本だった。高校2年生だった。
 
少し引用してみよう。

 

ビートルズは素晴らしかった。しかし素晴らしかったからいつまでもとは言わない。あの素晴らしかったビートルズをもう一度とは言わないのだ。」
「死んでいないのならば、殺しなさい。あなたのビートルズを。それが非常に困難な作業だという事は、私にもよく解る。しかし、あなたに殺されてこそ、あなたのビートルズになるのである。」

 

のっけからこの調子である。当時の僕は、ビートルズのことをほとんど知らなかったが、松村雄策の文章にはただならぬものを感じた。もう一つ引用してみよう。

ビートルズの世界が真実から遠ざかれば遠ざかるほど、ビートルズの歌はより真実に近づいていったのであった。」

 

正直何を言っているのかよく分からなかった。けれど分からないなりに伝わるものがあった。

 

この本にはビートルズだけではなく(ほとんどビートルズ関連だが)彼が聴いてきたいろいろなミュージシャンについての文章が綴られている。さっきも書いたが、時々筆者の「本気」の言葉が出てくる。

 

本の最初の部分は、創刊当時のもので、しかもビートルズ解散後のものだから鬼気迫る文章である。ただののんびりした人ではなかったのだと思い知らされた。そして、のんびりした人であるどころか、「やる時はやる」人であることが、次第に分かってくる。

 

初めて出した小説「苺畑の午前五時」は、自伝的な要素が色濃い作品である。高校生の主人公は、ある事件がきっかけで自分にはどこにも居場所がない、と感じ、だったらこんな場所から飛び出してやろうじゃないかと思い、角材を手に取って、自分を排除しようとしている同級生、上級生に向かって行こうとする。やられたらやり返そうとするのだ。一人一殺の心境だったのだろう。僕は主人公と松村雄策を重ねて読んでいた。

 

また、実生活でも、「僕の親父は『ほほにななめのキズあり』の男だった」と告白している。その血が俺にも流れているんだぞ、と言っている(脅しで言っているわけではありません。誤解しないように)。実際小林信彦と「ビートルズ論争」なるものを展開した時は、絶対譲らない気の強さを発揮していた。

 

それもこれもビートルズを聴いていたからである。相手に合わせたりへつらったりすることはしないのである。ビートルズによって形成された自分を信じて行動するのだ。

 

そして僕も、そんな松村雄策の生きる姿勢から学び、今のような(「400」を書くような)人間になったのである。

 

全ては「アビイ・ロードからの裏通り」から始まった。