hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

1970年におけるビートルズの面々

夢で、あり得ないシチュエーションの中に投げ込まれて、どうにもできず右往左往する。眠りは浅く時々目覚め、またその夢の中に入っていく、ということはありませんか?

 

昨夜の僕はまさにそれだった。僕は、ポール・マッカートニーとリンダとその子どもを取り巻く集団の中に放り込まれていた。夢の中で何だか知らないがリンダは窮状に陥っている。それを助けるにはどうすればいいのか僕には分かっている。しかし、なかなかポールに伝えられない。ポールは天然だから僕の様子に気づきやしない・・・

 

というどうでもいい夢をなぜ見たのかというと、きっとポール・マッカートニー初のソロアルバム「マッカートニー」を流しながら眠りに就いたからだろう。半覚醒の状態で「メイビー・アイム・アメイズド(恋することのもどかしさ)」を聴いたらえらくかっこよく聴こえた。昔JUNさんが「『メイビー・アイム・アメイズド』を好きじゃない人なんているのかな?」とコメントしていて、僕は「げげっ、ここにいるぞ」と思ってすぐに聴いてみたものだ。それでも僕にはピンとこなかった。どうでもいいことには敏感なくせに、大事なところでは鈍感なので困る。

 

しかしこれでやっと僕も人の子になれた。「メイビー・アイム・アメイズド」の良さが分かるようになったんだ。しかも「マッカートニー」の他の曲も結構いいじゃないか。これは今の耳で聴くといい、ということなのだろう。51年も前に発表されたものを喜んで聴く、こういう体験はもう何回も書いたが、それはとても幸せなことだ。これからもこういう出会いはまだまだあるのだろう。

 

それで、何故僕が「マッカートニー」に手をのばしたかというと、いつものあれである。ロックカタログ本である。この前「ビートルズは眠らない」を購入した時に、例によってアマゾンから紹介されたのが中山康樹著「ジョン・レノンから始まるロック名盤」(講談社文庫)という本である。2010年11月に刊行されている。

 

僕は中山康樹の本が好きである。彼の書く「ボブ・ディラン」「ビートルズ」「ジョン・レノン」に関する本は、中山節が冴えまくっている。何回も書くのもどうかと思うが、中山節というのは、彼が自分の好きな対象にあまりにものめり込み過ぎて時々暴言か?くらいのことを平気で書くことを指している。天下のディランに対して「ディランよ、お前はバカかと言いたい」なんて書くのはこの人ぐらいだろう。でもなんでポールに関する本を書かなかったのかは謎である。

 

この本のコンセプトはタイトルにもある様に、1970年発表の「ジョン・レノンの魂」から1980年発表の「ダブル・ファンタジー」の間に発表されたロックの名盤50枚を紹介したものでる。ジョンの作品を切り口に1970年から1980年を俯瞰して見るのは面白そうだ。そう思ってフラフラと購入してしまった。またこの本は「ビートルズから始まるロック名盤」の続編でもある。

 

ジョン・レノンから始まるロック名盤」の「はじめに」の最後で中山康樹はこう書いている。

 

「70年代とは、このように複雑にして陰影に富んだ時代ではあった。そのエンディングに待ち受けていたのが、ジョン・レノンの死とは、なんと70年代的な結末であることか。1970年の秋、その男は、『マザー』を歌っていた」

 

どうですか?読みたくなりませんか?どんな名盤が紹介されているか気になりませんか?僕は気になった。そして無意識のうちに、聴いたことがあるもの、少し聴いたことがあるもの、全く聴いたことがないものに分類していた。「もの」というのはアーティストの場合もあるし作品の場合もある。

 

全く聴いたことのないアーティストは2人いた。カーリー・サイモンとニッキー・ホプキンス(←ピアノは聴いているんだけどね)だ。全く聴いたことのない作品は今の2人の作品と、「サンフラワー/ビーチ・ボーイズ」「黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード)/エルトン・ジョン」「アロハ・フロム・ハワイ/エルヴィス・プレスリー」「ある女たらしの死/レナード・コーエン」「ジャズ/ライ・クーダー」の5枚だった。

 

あとの43枚のレコードは多かれ少なかれ聴いていることになる。つまりはそういう本である。大体多くの人が採り上げるであろう作品がこの本でも採り上げられている。例えばツェッペリンの4枚目とか、ルーリードの「ベルリン」とかボウイの「ジギー・スターダスト」とかイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」とかね。これらの作品に中山康樹はどう切り込んでいくのだろうか。楽しみである。

 

「ジョンの魂」は当然1番目に紹介されていて、「マッカートニー」は4番目に紹介されている。2番目はサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、3番目はクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「デジャ・ヴ」である。僕は「マッカートニー」まで読んでこうして今記事を書いている。というわけでビートルズ話に持っていこう。

 

ビートルズのメンバーのソロアルバムは色々とややこしいから、1970年にリリースしたものを書いてみるとこうなる。

 

 3月:リンゴ・スターセンチメンタル・ジャーニー

 4月:ポール・マッカートニー「マッカートニー」

11月:ジョージ・ハリスン「オール・シングス・マスト・パス」

12月:ジョン・レノン「ジョンの魂」

 

それに加えて70年5月にはビートルズの「レット・イット・ビー」がリリースされている。69年初頭に頓挫した「ゲット・バック・セッション」の最後の仕上げのためポール、ジョージ、リンゴは70年の正月にスタジオに入っている。それで、その年に全員ソロアルバムを出しているのだ。何だか生き急いでいる気もする。よく死ななかったな。

 

どうも昨日は松村雄策について書いたからか、どうでもいいことばかり書いているような気もする。しかしまだ書き足りない気持ちもある。今日どうしても書きたかったことは、「マッカートニー」がいい作品だったこと、それと1970年のビートルズ関連の動きだ。ビートルズの話は月日をきちんと書いとかないと誰かに怒られそうで緊張するなあ。

 

 

1969年9月26日に実質的なラストアルバム「アビイ・ロード」をリリースした頃はきっとまだファンにとってビートルズは「キラキラした宝石」だったのだろう。それがだんだんと雲行きが怪しくなり、1970年4月10日、イギリスのデイリー・ミラー紙が「ポール・マッカートニービートルズ脱退」と報道した頃から、ビートルズは「キラキラした宝石」ではなくなっていった(と思う)。そこからのソロ作品ラッシュだ。当然ファンは「キラキラ」を求めていた(と思われる)。しかし、最初に発表したリンゴの作品はアメリカのスタンダード・ナンバーのカヴァー、ポールは何だか家庭内作品チックで今でいえばインディーな感じかな、ジョージのはいいんだけど(勿論大ヒットしたけど)キラキラはしてないよな、って感じ?そして最後はジョンである。ファンは初めて「ジョンの魂」を聴いてどう思ったのであろうか?多くの人は「はぁ?」と思ったのではないかと僕は思う。「ちょっと意味分かんないんだけど・・・」というのがほとんどの人の感じ方だったのではないだろうか。そして「これならジョージの『マイ・スウィート・ロード』の方が幸せになれる」くらいに思っていたかもしれない。「これを待っていたんだよ!ジョン!」というような人はほとんどいなかったのではないだろうか。

 

ああ、何だかビートルズのことについて書くのは怖い。あくまでも私見ですよ。と断ってこの記事を終えよう。でも「ジョンの魂」についてまだ書きたいこともあるしなあ・・・。

 

 

 

「ビートルズは眠らない」by 松村雄策

先日ふと、松村雄策の「ビートルズは眠らない」を読みたいと思い、本棚を見たところ、ない。どこをどう探してもない。となると僕は松村雄策の本まで売ってしまったことになる。「アビイロードからの裏通り」と「岩石生活入門」、そして小説「苺畑の午前五時」はちゃんとあるのに。そういえば「リザードキングの墓」「悲しい生活」「それがどうした風が吹く」もないぞ。このことに結構衝撃を受けながらも、アマゾンで素早く注文した。しかし、しつこいようだが、売っちゃったんだ・・・

 

翌日本は届けられた。早速読んでみる。売ったということはもう何年も読んでいないということであって、読んでみると新鮮だった。まず、1本1本のタイトルがいい。僕も結構気を張ってタイトルをつけているつもりだが(といっても今日も昨日も一昨日もそのまんまヒネリもないタイトルだけど)、松村雄策の考えるタイトルには遠く及ばない。

 

「髪を長くしたってよかったんだ」最初っからこんな感じである。気に入ったタイトルをざっと書いていくと、「僕は泣かなかった、涙ぐんだだけだった」「暖炉に火をともす一本のマッチ」「ポールといっしょにおじいさんになろう」「ジョンは歌詞を間違える」「何をやったってよかったんだ」「世界をあっと言わせろ」等々である。話題は全部ビートルズ、あるいはメンバーのことである。

 

この本は1991年から2003年までに書いたビートルズネタのエッセイを厳選して1冊にまとめたものである。数えてみると全部で44本ある。ということはこの12年間で少なくとも100本以上はビートルズに関する文章を書いているはずである。その前から現在までを数えると、膨大な数のビートルズに関する文章を書いていることになる。正直言ってよく書けるな、と思う。とはいえ、この時期「アンソロジー」やら「イエローサブマリン」のリミックス盤やらポール、リンゴ、ジョージのライブやらでいろいろ書くことがあったことは確かだ。今までに読んだことがあるような文章もあるにはあるが、それにしても、である。僕にはこんなことはできない。いや、誰にもこんなことはできないだろう。

 

それほどビートルズは巨大だということも言える。それは確かだ。しかし松村雄策にとってビートルズは思い出なんかじゃない。本にもそう書いてある。本書の219ページにちゃんと書いてあるぞ。

 

「ところで、それでは僕にとってのビートルズは青春の思い出なのかといったら、そうではない。60年代から今日まで、ずっと聴き続けているのだから、思い出になるはずはないでしょ」

 

どうですか。ビートルズに関してはもう誰も松村雄策にはかなわないのだ。だから下手に論争などしてはいけないのである。(←昔あった。この時の松村雄策は執拗だった)

 

僕の元に届いた本には、2003年11月29日初版発行、2004年4月12日二刷発行と書いてある。この本は結構評判がよかったように記憶しているが、あまり売れなかったのだろうか。

 

そう思いながらもヤフーで松村雄策の検索をしていたら、「松村雄策の文章は好きだ」という生意気なタイトルが出てきた。誰が書いてんだ?と思ったら僕だった。いやあ、つい読んでしまったよ。スマホで自分の文章を読むのって新鮮だなあ。それはそうと松村雄策も70歳か。そりゃあ自分も歳をとるはずだ。でも70歳は今やロック界では普通な感じになっているし、まだまだ頑張ってもらいたいものだ。脳梗塞の影響がなければだが。

 

それと「ビートルズは眠らない」を読んだら新鮮だったと書いたが、同時に(いい意味で)サラッと読むことができたのも意外だった。彼の最初の本「アビイロードからの裏通り」はそんなわけにはいかなくて、サラっと読むんじゃないよ、という気迫が感じられた。本書でも勿論いつものように「あの時僕達ビートルズファンは孤独だった。寄ってたかってビートルズを悪者にしたあなた。何が『昔はビートルズファンでした』なんて言ってるんだよ。あの時のことは忘れてねえんだよ。あなた方は今でも敵なんだよ」ということはちゃんと書かれている。書かれているし、気迫もこもっているんだけど、「アビイロードからの裏通り」の方がなんかドロドロしたものを感じるんだよな。「アビイロードからの裏通り」はドアーズ等ビートルズ以外のミュージシャンもとりあげているが、初めて読んだのが高校生の時だったからかな、どうもサラっと読むことのできない怖さが未だにある。それに比べると「ビートルズは眠らない」は随分と穏やかになったものだ、と思うわけだ。

 

というわけで、実は購入したがちゃんと読んでいない「ウィズ・ザ・ビートルズ」に手を伸ばしてみることにしよう。どんなこと書いてあるんだろう、とは思わない。分かっちゃいるけど読みたい気持ちにさせる魔力が松村節と言われる(こんなこと言うの俺だけかな)所以だろう。この本は2012年10月に刊行されているのか。大分前だな。そういえば「僕を作った66枚のレコード」が2017年に刊行されている。この本が松村雄策の最新の本になるのかな。これも本人は楽しんで書いただろうな、と思わされる本である。

 

ビートルズは眠らない」を書いた時の松村雄策は40歳から52歳ということになる。僕が文章を書き始めたのはつい2年ほど前だ。さっきは楽しんで書いてるなんて言ったが、間違っていた。やはり身を削って文を書いている人には凄味がある。もっと言えばこういう文章を20歳そこそこからずっと休まず書き続けているって一体全体どんだけの熱量を持っているんだろうと思わずにはいられない。

 

 

それにつけても映画「スターダスト」である。10月8日から公開されているそうである。観たいな。でもこんな地方都市で上映はされないだろうなあ。金曜日のベストヒットUSAデヴィッド・ボウイ特集だから、きっと「スターダスト」にも触れることだろう。

 

 

 

清志郎その2

「雪どけ」・・・スタジオ盤も良いが、今回はライブ盤を選んだ。スタジオ盤もライブ盤もどちらも良い出来の曲なんてそうそうないぞ。初めてスタジオ盤を聴いた時の28歳の僕はまだ妻と出会っていない。そして誰かを心の底から好きになりたいと思っていたものだ。この曲は最初から言葉がスッと頭に入ってくる。短いイントロからすぐに歌い出す清志郎。「雪どけの道では何度も何度も足をとられ」「大切なことが言いにくい言いにくい春なのさ」「僕には言えないとても言い表せはしないこの心を」。僕のしたことをユーモアにしておくれ、とか間違っていない、というラインは「君が僕を知っている」や「IDEA」な感じもする。そしてライブヴァージョンはスタジオヴァージョンよりテンポがゆったりしている。もうすぐ止まっちゃうんじゃないかってくらい遅い。そこがまたかっこいい。ホーン・セクションも格別だ。僕は清志郎の楽曲から1曲選べと言われたら「雪どけ」を選ぶ。

 

「さんざんなめにあっても」・・・最初のギターから、ビリリってきたよ。そして♪さんざんなめにあっても さんざんなめにあっても 平気 生きてるから♪ だよ。全く勇気づけられるぜ。この曲はアルバム「abcd」に収録されているので軽視されがちなのではないだろうか。他の歌が「鉄人パパ」「パパの歌」「犬の子」「パパの手の歌」「カラスカラス」だからな。「カラスカラス」はロックな感じでいいが、他の歌は所謂「パパ路線」だ。2.3’Sのコンサートには一度行ったが、とても好感が持てたぞ。

 

「人間のクズ」・・・もうタイトルだけでダメ。もうズブズブである。当時(35歳)まさに(プライベートで)こんな状況下(人間のクズ状態)にあった僕は、ギター教室の先生にこの曲を持っていったっけ。一生懸命イントロを練習した覚えがある。「クズクズクズクズ人間のクズ」と子ども達と一緒に歌う清志郎。「川のほとりで自殺を考えたけれど怖いからやめた」と歌う清志郎。サビの最後は「人間のクズ 俺のことさ~」、そして最後の最後に「今日も元気だー」と歌う。替え歌を作って歌っていた路上ミュージシャンもきっといたはずだ。僕は毎日「俺は悪いけど悪くない」と声に出して自らを奮い立たせていた。

 

「口癖」・・・僕はどうもこういう曲に弱い傾向にある。ヘヴィなイントロから世界中を案じる暗い内容の話が歌われる。そしてサビで「バカなんじゃない人類って 誰も仲良くできない 変なんじゃない 人類っていつも傷つけ合ってる 愛が欲しいなんてただの口癖」と歌う。ところが2番のサビでは「でもいいんじゃない人類って それしかできないんだもん しょうがないんじゃない人類って すごく弱い動物だもん 愛が欲しいなんてただの口癖」と何となく肯定的だ。「バカなんじゃない人類って」「でもいいんじゃない人類って」という響きがとても心地よい。こういう曲って結局どういう曲なんだろう。「イマジン」みたいな曲っていえばいいのかな。

 

「JUMP」・・・遂に忌野清志郎は「雨上がりの夜空に」に続く、いやそれをも凌ぐかもしれない曲をモノにした。ここまで来るのに長かった。いや、その前に〇〇も□□もあるじゃないか、と言われそうだが、僕は断固として言い張る。「JUMP」はあくまでも「雨上がりの夜空に」に続く大名曲だと。イントロからギター、ホーン、ともに祝祭感溢れる響きだ。とはいえ前段で歌われる内容は重い。しかし「Jump 夜が落ちてくる、その前に Jump もう一度高くジャンプするよ」というサビで一気に霧が晴れる。それにしても歌い出しがいいよな。♪夜から朝に変わる、いつもの時間に 世界はふと考え込んで朝日が出遅れた♪ こんな詩、誰が書ける?えっ?ってなもんだ。2題目の、♪眠れない夜ならば 1つだけ多すぎる朝、後ろをついてくる♪っていうのははディランっぽい。

 

 

「激しい雨」は番外編だ。♪何度でも夢を見せてやる 世界が平和だったころの夢 RCサクセションが聴こえる RCサクセションが流れてる♪ この曲を最後に聴くことができた。もちろん清志郎はまだまだ生きてたくさん曲を創ろうと思っていたのだろうし、この曲も人生の中で1つピリオドを打った歌だったのだろう。しかし残念ながら清志郎は逝ってしまった。それはとても悲しいことだけど、清志郎には感謝しかないじゃないか。このプライベート・セッションヴァージョンは、その声と演奏の生々しさに胸が張り裂けそうになる。「何度でも夢を見せてやる」と歌っているように今もなお僕は清志郎に助けられている。

 

 

 

どうも今回選んだ曲は、音に言葉が見事にのっかっているというか、言葉に音楽的な響きを持たせることに成功した曲を選んでいるような気がする。プラス言葉自体にインパクトがある曲だ。

 

だからこそ、選んだ11曲のどれもの歌詞に触れざるを得ない。

「ほ~らも~ういっちょう これはロックンロール・ショウ」

「Oh! Baby僕をダメにしたいなら ある朝君がいなくなればいい それだけでいい」

「電車は動き出した 豚どもを乗せて 僕を乗せて」

「(俺は河を)渡った」

「かくまってくれるかい」

「雪どけの道では何度も何度も足をとられ」

「さんざんなめにあっても さんざんなめにあっても 平気 生きてるから」

「クズクズクズクズ人間のクズ」

「バカなんじゃない人類って」

「Jump 夜が落ちてくる、その前に Jump もう一度高くジャンプするよ」

RCサクセションが聴こえる RCサクセションが流れてる」

と必ず心に刺さる言葉を印象に残るメロディで歌っている。

 

11曲でこれなんだから、やはりすごい詩人であり、ロックシンガーなんだな、と再認識した次第である。

 

 

 

清志郎10選プラス1

先週から眠い。とにかく眠い。その日の授業が終わり、ヨガマットに横たわるとスウスウ眠ってしまうこともあった。日中にそんなことをしていても夜になって薬を飲むと眠くなってくる。それが大体20時台だ。それから寝室に行くと、すぐに眠りにつくことができる。それはありがたいんだけど、ああ~よく寝た、と思って時計を見ると、23時台だったりして、焦ることも多い(このままじゃあ秋眠日記になりそうだ)。23時に目覚めた後は、上手く眠れなくてのたうち回っている(そんな大げさなもんじゃないか)。リビングには1回行ってごぼう茶の残りを少し飲んで、煙草を1本吸ってもう一度眠りへの挑戦だ。そんな日々が2週間ほど続いている。

 

それにしても、書きたいテーマが見つかると、一刻も早くパソコンで文章化したいという気持ちが強いのは喜ばしいことだ。もうブログを書く気持ちが枯渇してしまったかと思っちゃったよ。とか言いながらテーマは相変わらずの忌野清志郎だけど。いいんだ、そんなことは。書きたければ何度でも書けばいいのだ。

 

 

昨日は清志郎を聴きたい、と思った。そして選んだのが以下の曲だ。

 

「ロックンロール・ショウ」(「BLUE」1981)

「Oh! Baby」(「OK」1983)

「ヒッピーに捧ぐ」(「the TEARS OF a CLOWN」1986)

「WATTATA(河を渡った)」(「RAZOR SHARP」1987)

「共犯者-The Accomplice」(「MARVY」1988)

「雪どけ」(「Memphis」1992)

「さんざんなめにあっても」(「abcd」1993)

「人間のクズ」(「冬の十字架」1999)

「口癖」(「秋の十字架」2000)

「JUMP」(「GOD」2005)

番外編

「激しい雨」(2006.5.14 Private Session)

 

 

「ロックンロール・ショウ」・・・高校3年生だった僕は、友達数人と放課後に教室の机と椅子を全部後ろに移動させて、この曲やAC/DCの「バック・イン・ブラック」を聴きながら踊り狂っていた。それを入り口から眺めている女子が数人いた。高3なら、本物の楽器を持ってバンドを組めばいいのに。ほうき片手にエアギターを弾いたり、ボーカリストのようにアクションをつけたりしながら歌う真似をしていた。「ロックンロール・ショウ」はそんな稚拙な僕達にぴったりの曲だった。イントロが鳴った瞬間、もう全員キヨシローやチャボになっていた。そして「ほ~らも~ういっちょう これはロックンロール・ショウ」という歌い出しから、何だろう、いやらしい言い方だけど、日本語のロックな感じがプンプン漂ってきた。今言うとしたら言葉が音楽的に聴こえた、になるかな。「オー、神様」を「オー、か、か、かみさま」と歌うところにもシビレた。

 

「Oh! Baby」・・・僕が初めて買ったRCのレコードが「OK」である。なぜ?「ロックンロール・ショウ」ではあんなにノッていたのに?そうなんです。僕は心の底で、この音楽を自分の中に取り込んでいいのか迷っていたのだ。もっと言うと、RCを聴くことはチャラチャラしていると思ったのだ。しかし、渋谷陽一の「サウンドストリート」で「OK」を聴いて、僕はレコード屋に走ってアルバムを買った。もう自分の心をごまかすのはよそうと思った。そのアルバムの中で一番女々しい歌「Oh! Baby」には参った。「Oh! Baby 僕を泣かせたいなら 夜更けに悲しい嘘をつけばいい」「Oh! Baby 僕をダメにしたいなら ある朝君がいなくなればいい それだけでいい」。こんなこと歌っているロッカーはいなかった(今思えばジョン・レノンも女々しい自分を歌ってたか)。赤裸々すぎるこの歌に僕は参った。そしてこのアルバムから胸を張ってRCのアルバムを買うことにしたのだ。

 

「ヒッピーに捧ぐ」・・・1986年。僕は大学3回生になっていた。しかし本当の意味でこの曲の良さを発見したのはもっともっと後になってからだった。アンコール(この曲はライブヴァージョンを選んだ)の1曲目になるのかな。静かな始まりからもう清志郎の言葉がすっと入ってくる。その後コウちゃんのフィルインが入り、「電車は動き出した 豚どもを乗せて 僕を乗せて」と力強く叫ぶキヨシロー。後は、再び歌詞に聴き入るばかりだ。そして最後のシャウトという名の呻き声啜り声。1970年代に起きたとてもプライベートなことを1986年になっても生々しく歌うキヨシロー。それを2021年になっても現在進行形で聴く僕。素晴らしいことである。

 

「WATTATA(河を渡った)」・・・記念すべき初ソロアルバムからの1曲。スペルはこれでいのかな?清志郎曰く「まだ詩は完成していないと思って読んでみたら完成していた」。ロンドンで一人でブロークンな英語で渡り歩いた結果、これで十分じゃんと思ったのかもしれない。そしてもう何個発明しているか分からないけど、「促音の多用」で日本語のノリがよくなるということを発見してしまった。発見したからにはとことんそれを追求するのが清志郎で、「わたった」では、思いっ切り小さい「っ」を発音している。RCのメンバーがロンドンで録音することを渋った結果、一人で行くことになった清志郎。その気持ちがこの詩に表れている、と言われたものだ。「RAZOR SHARP」には他にもいい曲がたくさんあるが、1曲聴くならこれで決まり!確かギターにスティーブ・ヒレッジが参加していたような気がする。

 

「共犯者-The Accomplice」・・・アルバム「MARVY」は確か冬に発売されたよな、と思い調べてみたら2月25日だった。この年度から僕はもう働いていた。「共犯者」を初めて聴いた時「キヨシローは警察につかまる。どうしよう」と焦ったことを思い出した。「かくまってくれるかい」と執拗に歌うキヨシローの声はそれほど切羽詰まっていた。「君の手紙を読んだ 君の考え方が書いてあった」というフレーズがかっこよかった。何となく「BLUE」の「まぼろし」という曲を連想したな。♪僕の理解者は行ってしまった もうずいぶんまえの忘れそうな事さ♪ 何でこの詩と繋がるんだろう?

 

 

                                (続く)

2000年から21年経ったんだ 信じられないよ、全く

昨日の「ベストヒットUSA」で小林克也が興奮気味に「アバが再結成されました」と言っていた。アバか。そういえば僕のiPhoneに入っていたような気がする。と思ったら入っていなかった。今年聴いた覚えがあるんだけどなあ、と思いながら番組を観終わってからアバを検索してみた。「Dancing Queen」「Gimme! Gimme! Gimme!」「Take a Chance On Me」「Waterloo」「Chiquitita」「Voulez-vous」「Money,Money,Money」等の曲を聴いたが、甘酸っぱくなるね。曲もいい。マドンナが「Gimme! Gimme! Gimme!」をパクったのも分かる。僕が初めてテレビで観た外タレ(死語か)、がアバになるのかな?すごい騒ぎだったのを覚えている。

 

それにつけても40年ぶりである。「奇跡だ!」「いや、彼らは衰えていない」等の反応もあるようだ。1982年に活動停止をして、再び復活をするって一体全体どういう心算なんだろう。しかもコンサートをやるそうだ。なんでも「アバター」というか「デジタル版アバ」というか要するに「バーチャルライブ」らしい。よく分からんが。驚いたのは新作スタジオ盤も発表するということだ。「今」の写真も公開されていることだし、別に「アバター」じゃなくてもいんだけどな。新曲を聴いたけど、歌唱力が衰えたというわけでもない。とはいえ、ファンにとって見た目は大事か。

 

しかし、生きているといろいろなことが起きるものだ。死なないと思っていたチャーリー・ワッツは亡くなるし、アバは40年ぶりに復活する。そういう僕も昨年30数年ぶりにJUNさんと顔を合わせて(あ、スカイプですが)、話をした。

 

2000年代になってから、時が過ぎるのが異常に速く感じるようになったのはよく言われるように歳のせいだろうか。2000年から21年も経っているなんて今でも信じられない。上手く事態が呑み込めないっていう感じである。とはいえ、仕事の面からいうと所謂働き盛りの年代である。働き盛りの時期の事態が上手く呑み込めないって何だか悲しいぞ。

 

アバにとっては40年(その間いろいろ活動していたようだが)くらいどうってことないのかもしれない。いや、そんなことはないか。結婚や離婚その他いろいろあった上での40年ぶりの再結成なのだろう。因みに僕は2000年というと船木誠勝ヒクソン・グレイシーが戦った年、という記憶の仕方をしている。そう思うと結構前のことに思えてくる。

 

 

アバの特集の後は、最新のヒットチャートを流して(後で書いてみよう)、プリンスを特集していた。プリンスが亡くなったのは2016年だそうである。5年前か。これも上手く呑み込めない。プリンスってまだ生きてるんじゃないか、くらいに思ってしまう。ニューアルバムも最近出たよな。流れた曲は「ミュージコロジー」。これがまたかっこいい。アルバム「ミュージコロジー」は2004年に発表されている。僕は、そのCDを買った時のことを今でもよく覚えている。17年前か。頭がクラクラしてくる。きっと今日はこんな風に2000年以降のことを思い返す日なんだ。アバのせいだな。

 

そのクラクラした頭で最新のヒットチャートを聴くと、何だかつまらない、というのが正直な感想だ。だって似たようなのばっかだもん。そんな中で無理矢理注目するとしたら、この夏に聴いた「マネスキン」と「リル・ナズ・X」だ。リル・ナズ・XのことはこれもベストヒットUSAのPVを観て少し気になっていたのは確かだ。「Montero(Call Me by Your Name)」のPVはキリスト教保守系の団体からすごいクレームが来ていたらしい(セックス・ピストルズ、マドンナに続く3番目の快挙らしい)。彼自身ゲイなので、そのことをあからさまに描いた作品となっている。そういう情報を知らずに観た(聴いた)僕は何となくプリンスを連想した。マネスキンは、この夏「お勉強」と称して今どきのアーティストを聴いた、その内のひとつである。もしかしたら人気が出るかもしれない。でも、結局両者ともiPhoneに取り込むことはしなかった。

 

昔のヒットチャートもこんなもんだったのだろうか?ホール&オーツとかメン・アット・ワークとかブライアン・アダムスとか流れていたよな。それに「ボッパーズMTV」では、結構マニアックなバンドも紹介していたぞ。あんな番組が地上波であったらいいのに。今はみんなユーチューブで観ているのかな。でもそんなんで思いがけない(アーティストとの)出会いってあるのかな?

 

 

40年ぶりの再結成の続きになるのかよく分からないが、今日から、懸案事項だったAC/DCの「バック・イン・ブラック」のイントロに取り組んでいる。この曲は1980年発売だぞ。アバより上だ。しかしこれもよく聴いたな。何でか分からないが高校時代によく聴いた。そんな曲のイントロを弾くべく練習に取り組んでいる。パワーコードの部分は、拍のとり方が難しかったがまあOKだ。問題はオブリガードというか、飾りというかその部分だ。でも弾き方が分かってスッキリしたな。スケール練習のかいあって、ギターを単音で弾くことに抵抗がなくなってきている。冬までに「バック・イン・ブラック」のイントロを上手く弾けるようになるのだろうか。(←レイラは完全に諦めている)

 

 

何か今日はとっ散らかった文章になってしまった。時の流れの壮大さに負けたのだろう。

 

 

 

夏の終わりのせつなさ

9月が終わった。この時期はどうも駄目である。何が駄目かというと、風だ。夏の風が終わり、「秋の風になったなあ」と思った瞬間、胸がキュンとする。乙女じゃないんだから何が胸キュンだよと自分で突っ込んでしまうが、なかなかにせつない時期だ。今日は「夏の終わりのせつなさ」をテーマに書こう。

 

今も記憶に残る「せつない感じ」は高3の時のこの時期だ。高3時代のことは前に書いたことがあるが、とても楽しい時間を過ごし、思い出に残っている。その高3の夏に僕はある女の子に告白し、お付き合いを始めることになった。

 

しかし夏休み真っ最中なので、会う機会もない。会う機会なんか作ればいいのだが、どうやって作ればいいか分からなかった。そうして8月も終わろうとしていたある日、たまたま家のポストを見たら、僕への手紙が入っていた。彼女からだった。僕は早速封を開け、読んだ。「夏休みであんまり会えなかったけど、2学期よろしくね。私は面と向かって話すことは苦手だけど、手紙だと思ったことが書ける」などと書いてあった。お付き合いの始まりのアクションは彼女から起こしたわけだ。僕は早速お返事の手紙を書いた。そのやり取りは12月まで続くことになる。4か月で数え切れないほどやり取りをしたなあ。手紙のやり取りはたいがい学校の廊下でしていた。最初は友だちにからかわれて、少し恥ずかしかったけれどだんだん慣れてきた。時々手紙と一緒にクッキーもついてきた。

 

そして2学期の大きな行事のひとつに体育祭があった。僕は、友達に誘われて応援団に入ることになった。お前が応援団?という声が聞こえてくるが、自分でもそう思う。いくら友達に誘われたからといって応援団はないだろう。大体高2の体育祭は無断欠席したんだぞ。(ちなみに高2の卒業式も欠席した)まあ、とにかく何となくイケイケな心理状態だったので応援団に入ることになったのだが、大変だったなあ。まず、衣装作りをするっていうんで、下級生の誰に作ってもらうかが決まり、その子に挨拶をし、採寸してもらう。もうこれだけでいっぱいいっぱいになっていた。そして最初の練習の時にいきなり団長からダメ出しをくらった僕(達)は、少しシラケた。それでも何とか練習をこなし(今思うと考えられない)、当日も何とか頑張り(結果は「げべ」(最下位)だった)、彼女と一緒に記念写真も撮った(担任に無理矢理撮らせた)。体育祭が終わった後は、衣装を作ってくれた子にお礼の品を買わないといけない、っていうんで、帰国子女(この子も前に書いた)に頼み込み、一緒についてきてもらった。

 

付き合っていた彼女とは、主に手紙や電話で関わり、衣装を作ってくれた子とは、何だかんだ言って(衣装直し等いろいろ世話になったので)体育祭のお礼を渡すところまで関わり、帰国子女とは日常的に(同じクラスだった、しかもガンガンコミュニケートしてくるので)関わっていた。僕の人生の中でもベスト5に入るくらい女性との関わりが多い時期だった。ちょっと大げさかな?この一連の出来事の中で一番せつなく甘酸っぱかったのは、付き合っていた彼女と体育祭の後に写真を撮ったことだ。1枚しか撮らなかったが、2人並んで、しかも担任に撮ってもらった、その瞬間のことは今でも心に焼き付いている。

 

この時期のことでまず一番に思い出すのが今書いた高3の出来事である。

 

 

曲で「夏の終わりのせつなさ」というと、タイトルもそのものズバリのドアーズ「サマーズ・オールモスト・ゴーン」だろう。これは、意識して今の時期に聴くわけではないが、ふとした拍子にドアーズを聴くことになったら必ず聴く曲だ。それがいつの季節であっても、僕が体験した「夏の終わりのせつなさ」がぶゎ~と甦ってくる。

 

もうひとつ、というかもう1枚だけど思い出すのは、仲井戸麗市の初ソロデビュー作「The仲井戸麗市Book」である。なぜだろうと思い、調べてみると、なんと8月31日に発売されていた。そうだったのか。1985年のことである。その時僕は大学3回生だった。

 

チャボについては、「いい人」だということは大分前にふれたことがあるが(「いい人」の一言で収まらない大きな人だということは分かっているつもりだ)、作品について何か書いたことはない。何故だろう。相棒の清志郎のことは結構書いてきたんだけどな。アルバムはほとんど聴いている。麗蘭時代もチャボバンド時代もチェックしてきた。ところで僕の音楽の聴き方だが、1980年代から1993年くらいまでが、1枚のアルバムを最初から最後まで濃密に聴いていたように思う。その期間にチャボの初ソロアルバムを聴くことができたことは幸福だったと思う。1990年に発表されたセカンドソロアルバム「絵」も一生懸命(?)聴いていた。1993年以降は、気に入った曲だけを聴くようになってしまった。

 

「The仲井戸麗市Book」に話を戻そう。まず、RCサクセションのサイドマンとして確固たる地位を築いていたチャボが(ほんとに)ソロアルバムを出したことに驚いた。「ほんとに」と書いたのは、薄っすらと「チャボのソロアルバム、聴きてーな」と思っていたからだ。RCのアルバムに大体1曲入っていたチャボヴォーカルのナンバーに僕は痺れていた。しかし、「The仲井戸麗市Book」は全編イケイケのアルバムではなかった。1曲目の「別人」の歌詞から、すげ~、かっこいい!と思ったものだが、サウンドは少し内向的に感じた。その後も内向的だが攻撃的(この言葉が一番しっくりくる)なナンバーが続き、「これがチャボかぁ。かっこいいね!」と愛聴したものだ。僕のお気に入りは「別人」「カビ」「秘密」「打破」「早く帰りたいPARTⅡ」「月夜のハイウェイドライブ」「One night blues」だった。「ほとんど全部じゃないか」と言われそうだが、大事なナンバーを忘れていた。「さらば夏の日‘64AUG」である。インストナンバーは、当時の僕には「大人っぺー」曲だった。今聴くといいっすね。しみじみ聴いてしまう。この曲を聴いていたら麗蘭の「夏の色調」(1991)を聴きたくなってきた。

 

ああ、1990年2月21日に発表された「絵」のことも書きたくなってきた。でもまあ慌てず、冬になったらじっくり聴いて書くとしよう。

 

 

最後に彼のオリジナルソロアルバムだけを紹介しておこう。

 

1985年8月31日 The仲井戸麗市Book

1990年2月21日 絵

1993年2月 3日  DADA

1997年2月26日 GREAT SPIRIT

1999年1月27日 My R&R

2002年10月9日 TIME    ←チャボの誕生日

2015年9月16日 CHABO

 

夏の終わりと冬真っ只中に集中している。それにしてもアルバム「CHABO」から6年も経っているんだ。

 

 

 

こうなったら行けるところまで行こう

今日は書きたいことが3つあるぞ。3つとも書いちゃおう。それで何を書こうかな、と考えている時にふと、3つには共通したものがあると思った。それは「エバーグリーンな感じ」である。日本語にするとどうなるんだろう。僕なりに書くと「いつまでも瑞々しい」かな。調べてみるか。

 

ヤフーで「エバーグリーン意味」で検索するとちゃんとあった。「エバーグリーンは、常緑、不朽を意味する英語の名詞・形容詞。音楽では『時を経ても色褪せない名曲』というニュアンスで使われることがある」だそうだ。なるほど。まあまあの線をいっているじゃないか。

 

早速1つ目にいこう。それは、いつものようにアップルミュージックがご丁寧に「旦那、いいブツがありますぜ」と紹介してくれたアルバムだ。

 

「John Sebastian and Arlen Roth Explore the Spoonful Songbook」というタイトルのアルバムなんだが、これがいいんですよ、奥さん。なぜ僕に紹介してくれたのかは不明だ。僕はラヴィン・スプーンフルは聴いていなかったから。まあ、そんなことはどうでもいい。まずは当然のことかもしれないがジョン・セバスチャンの声がいい。最初は少しクセが強いな、とかすかに思ったのだが、ずっと流しっぱなしにして聴いているとだんだん馴染んできた。

 

次はアーレン・ロスのギターが最高に気持ちいい。これは一聴して分かった。基本的にはアコースティックな感じのサウンドである。このギターがあってジョン・セバスチャンの声が絡むと何とも言えないマジックが起こる。そこに女性ボーカル(マリア・マルダーかな)がさらに絡んでくる。今の僕だからこそ気持ちよく感じるのだろう。僕も少しは豊かになった(耳が肥えた?)ものだ。「Daydream」(←名曲、ですよね?)はあえて歌わず口笛を吹いているところもオシャレだ。ちょっと検索してみるか。

 

長いな。端折って書くか。「レジェンドと匠によるマジカルなコラボレーション誕生!」だって。ジョン・セバスチャンは、もちろんラヴィン・スプーンフルの中心メンバーだった人である。アーレン・ロスは、サイモン&ガーファンクル等の数多くのアーティストに絡んできた人らしい。このアルバムはこの2人がラヴィン・スプーンフルの最も重要な曲を新たな解釈で蘇らせたアルバムということだ。きっかけはアーレン・ロスがジョン・セバスチャンに声をかけたことからだって。ジョン・セバスチャンはそんなこと思ってもいなかったから驚いたらしい。やはりマリア・マルダーも参加している。

 

このアルバムはジョン・セバスチャンのヴォーカルあり、口笛あり、そしてインストゥルメンタルナンバーあり、女性リードヴォーカルありでなんの縛りもなく自由に演奏している様子が伝わってきて、しみじみといい。これからの季節にぴったりのナンバーが続く。少し気持ちが下がっている時に聴くといいかもしれない。

 

 

いかん。こんなことしてるとあと2つ書けない。2つ目はThe Weeklingsだ。先日から気になっていると書いたが、このバンドは「ワオ!ビートルズ!?」である。ライブアルバムがアップルミュージックから届けられたのだが、3枚のスタジオ盤を発表している。そして満を持して4枚目をライブアルバムにしたということだろう。何が「ワオ!ビートルズ!?」を書けばいいんだな。

 

ライブ盤の1曲目の「Little Tease」はデビューアルバムの1曲目である。相当手応えがあったんだろう。僕もこれを聴いた瞬間にぶっ飛んだ。イントロからもうビートルズ臭がする。ヴォーカルを2人でとっているところもジョンとポールかよ、と思っちゃう。コーラスの「ワッチュア、ワッワッチュアッ」も憎い感じでビートルズファンをくすぐる。途中「抱きしめたい」のイントロじゃねーか、という一節も入れてくるから油断できない。

 

サウンドの質感は・・・そうだなあ、スミザリーンズに似ているかもしれない。しばらく「ビートリー」な曲が続くが、「うん?」と思って聴き入ってるとほんとにカヴァーとして「The Word」や「Baby You’re Rich Man」なんか入れてくる。憎いね、全く。シングルで「Paperback Writer」をやっているが、ブレイクなども入れて力いっぱいカヴァーしている。外連味たっぷりで気持ちいいよ。こんな風にビートルズをカヴァーするのっていいなって思った。

 

ジャケットを見る限りでは結構なおっさん4人組だ。しかしヤフーで検索しても日本では取り上げられていないようだ。英語の紹介文の中にはニュージャージーという言葉も入っている。アメリカのバンドなんだな。さっきの曲の他にもカヴァーしている曲があるようだ。繰り返すが、とても爽やかで気持ちのいいバンドだ。

 

 

ちょっと急ぎ足になるけど、そのThe Weeklingsの3枚目のアルバムに「Friday on My Mind」が収録されている。僕はまたしても「ワオ!」と思った。懐かしい。「我が心の金曜日」だよな。昔、ロッキングオン松村雄策が取り上げていたぞ。ピーター・フランプトンのニュー・アルバムの紹介の時だ。僕はデヴィッド・ボウイヴァージョンは聴いたことがあって「これが『我が心の金曜日』か。かっこいいぞ」と思ったものだ。早速ピーター・フランプトンヴァージョンも聴いてみたが、これもかっこいい。どこをどういじってもかっこいい曲ってあるんだ。(まだ本家のイージービーツとゲイリー・ムーアヴァージョンは聴いてない)

 

それで最初に戻るけど、この2枚のアルバムと1曲は「エバーグリーン」な感じ満載なんだよ。70歳を超えたジョン・セバスチャンの声も、ニュージャージーのおっさん4人組がガシガシ演奏する曲も、昔々の楽曲も、今でも素敵な音を聴かせてくれるんだよ。いいものを聴いた。

 

 

というわけで、駆け足で3つ書いたが、この記事が600記事目ということになる。365記事目や500記事目の時は「エライエライ。よくやった」と自分を褒めていたが、今は何というか、「あきれてものが言えない」だ。しかし、こうなったら行くとこまで行くしかないよな。毎日じゃなくてもいいから書きたいことができたら書くことにしよう。それにしても怒涛の1週間だったな。

 

 

 

プロのバンドが本気でカバーしたらこうなる

「今日は完全オフだぁ~。さあ、書くぞー」と思い、気がついたら5時間経っていた。5時間も何を?と思われるだろうが、ほんとに一体何をしていたのだろう。きっと妄想していたのだろう。

 

というわけで、今日はなぜかボ・ガンボスだ。昨日はあんなにThe Weeklingsデイにするって言ってたのに。こういうことはよく起こることですよ、お兄さん。気にしないで下さい。

 

ボ・ガンボスは、最初華々しくデビューを飾った(1989年)。音楽評論家からの評価も高かった。「泥んこ道を二人」「魚ごっこ」など、不滅の名曲も生まれた。「HOT HOT GUMBO」というフリーコンサートもやった。しかし、セールスは次第にじり貧になっていく・・・。そんなボ・ガンボスが売れるための作戦を考えた。というか作戦を練ったのはレコード会社だけどね。そのアイディアがカバーアルバムを出すことだった。しかも3枚立て続けにだ。メンバーはそのアイディアに特に反対はしなかったという。

 

企画が決まってからはこんな動きをした。

 

1993年12月~1994年2月:カバーツアー「THE KING OF ROCK’N ROLL」

1994年1月:カバーツアーCD第1弾「THE KING OF ROCK’N ROLL」発表

1994年3月~5月:カバーツアー「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」

1994年5月:カバーツアーCD第2弾「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」発表

1994年6月~8月カバーツアー「JUNGLE BEAT」

1994年7月:カバーツアーCD第3弾「JUNGLE BEAT」発表

 

1993年12月から1994年8月まで、ボ・ガンボスはこれだけ活動していたのだ。これから書くが、無茶苦茶振れ幅の広い音楽をこの短期間で演奏していたのである。

 

「THE KING OF ROCK’N ROLL」はその名の通り、ロックの名曲カバー集だ。バディ・ホリーエルビス・プレスリー等の1950年代のロックンロールから、ドアーズの「ブレイク・オン・スルー」、ニール・ヤングの「ヘルプレス」、ルー・リードの「スウィート・ジェーン」までカバーしている。変わったところではニック・ロウの「クルエル・トゥ・ビー・カインド」をやってるぞ。最後はボ・ディドリー・メドレーで締めている。僕はジャケットに企画物臭さを感じて、買ったはいいが当時あまり聴かなかった。しかしながら、さっき書いた曲を難なくこなすことができるバンドはそうそういない。

 

 

「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」は、まるで日本版「ブルース・ブラザース」だ。それこそR&Bのど真ん中の名曲をこれでもかと演奏している。どんとはサム・クック、JB、アイク&ティナ・ターナー等が憑依したかのように歌いまくっている。中でも憑依度数の高いのがオーティス・レディングである。「I CAN’T TURN YOU LOOSE」「TRY A LITTLE TENDERNESS」の2曲はもうすごいことになっている。昔、オーティスの「ガッタガッタ」をやらせたら、忌野清志郎の次に、いや、それに負けないくらい上手いのがどんとだと書いたが、何回聴いてもその思いは変わらない。どんとは、基本的に甲高い系の声で歌っているのに、なぜオーティス声が出せるのか不思議だ。このアルバムの演奏も素晴らしい。隙がない。プロの仕事である。しかし、どんとは、(さっきも書いたが)何者かに変身している様子で、全編英語でMCをしている。彼の変身ぶりは珍しく少しいたく感じた(聞こえた)。

 

3枚目の「JUNGLE BEAT」は、「Zombie」から始まる。フェラ・クティだよね?オリジナルは多分1回位しか聴いていないけど。1950年代のロックンロールから、R&Bを経由してアフリカだよ?信じられる?おんなじバンドが演奏してんだよ。そのことにまず驚かされる。あとは沖縄民謡の「ハイサイおじさん」も収録されていて、このアルバムが一番選曲がとっちらかっているかもしれない。とはいえ、どんとは「ジャングル・ビートと言ってもただのジャングル・ビートではありません。宇宙のジャングル・ビートです」と言っている。だからアフリカン・ミュージックにとらわれず、いろいろな曲をやっているのだろう。というか日本語のMCに戻っている。いつものどんとに戻っていて安心した。

 

繰り返すがこれほど振れ幅の広い音楽を同一のバンドが演奏しているすごさは尋常ではない。そしてその演奏にのって歌う(時に何者かに憑依されながら歌う)どんとは、もちろんすごい。プロのバンドが本気を出してカバーアルバムを作るとこういうことになるのだ。「アルバムに1曲カバー曲を入れてみました」じゃないのだ。そこは力を込めて何回でも書いておきたい。この3枚のアルバムを一つのプレイリストにしてシャッフルして聴くと、頭がクラクラするはずだ。

 

しかしながら、である。これはカバーアルバムなのだ。人の作品なのだ。もっと言うと所詮「企画物」なのだ。レコード会社はそこに勝負をかけ、そして失敗した(つまり売れなかった)。残念でならないというのが正直な気持ちである。だからこそボ・ガンボスの記事を書きたいと思った時に、この3枚を取り上げようと思った。

 

 

ボ・ガンボスは、1995年6月11日の日比谷野音のコンサートが最後に解散する。この解散コンサートの模様はDVD化されているが、ほぼコンサートの全貌を記録している。全盛期のボ・ガンボスのコンサートも勿論素晴らしいが、この解散コンサートも捨てがたい。どんとのMCとギターは最高だよ(もちろん歌も)。そしてどんとはこの後ソロ活動を始め、2000年ハワイで亡くなった。37歳のことである。早すぎる死だった。

 

 

これを最後に書くのというのも非常に不親切な話だが、ボ・ガンボスというバンドは、ローザ・ルクセンブルグというバンドから脱退したどんと(ヴォーカル&ギター)と永井利充(ベース)がKYON(キーボード&ギター)と岡地明(ドラム)をメンバーに引き入れて作ったバンドだ。そのサウンドはバンド名から分かるように(分からないか・・・)、ニュー・オーリンズの音楽(ガンボスープニュー・オーリンズソウルフード)や敬愛するボ・ディドリーの音楽を基調にしたものだ。当時は直線的な(たてノリって言えばいいのかな?)バンド(ニューエスト・モデルやザ・ブルー・ハーツ)が多かったロックシーンの中で異彩を放っていた。

 

 

 

597記事目にしてThe Weeklingsを知る

今日の僕の文章からは、汗の匂いがするはずだ。きっと。

 

運動会が終わった。昨日今日と社会の授業をしないで肉体労働ばかりしていた僕は、今くたくただ。エアコンをガンガンかけてやっと一息つくことができた。なんもする気が起こらない。というわけでよろよろと自分の教室で文章を書いているというわけだ。しかしながら学校行事に参加していると、少し孤独感が薄れる。よいことだ。さあ、書くぞ。

 

昨日アップルミュージックの「今すぐ聴く」を見たら、ルー・リードのライブ、リンゴ・スターのEPが紹介されていた。その他「渚のベートーベンズ」「The Weeklings」という知らないバンドの紹介がされていた。一番に聴かなければいけないのはやはりルー・リード(1942―2013)だ。もう彼がこの世からいなくなって8年にもなるのか。

 

ルー・リードにもこんなブツが出回るようになったんだ、と思いながら一応ディスコグラフィを見てみると、何だ、彼の死後結構ライブアルバムが出ているじゃないか。このアルバムは「Live at Alice Tully Hall (January 27,1973-2nd Show)」というタイトルである。同じ時期のライブアルバム「Live at Le Bataclan Paris Jan.29,1972」という作品が2014年に発表されている。このアルバムは、ジョン・ケイルとニコの3人でやっている。それから1年後のライブが本作品というわけになる。

 

セットリストも1年前と結構変わっている。

 

White Light/White Heat(vu)

Wagon Wheel(T)

I’m Waiting for the Man(vu)

Walk and Take It(1st)

Sweet Jane(vu)

New Age(vu)

Vicious(T)

I Can’t Stand It(vu、1st)

Satellite of Love(T)

Heroin(vu)

I’m So Free(T)

Walk On the Wild Side(T)

Rock and Roll(vu)

Sister Ray(vu)

 

(vu)はヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の曲、(1st)はファースト・ソロ・アルバム「ルー・リード」からの、(T)はセカンドの「トランスフォーマー」からの曲である。だからセカンドアルバム発表直後のライブになるのかな。「トランスフォーマー」からの曲が5曲もあって嬉しい。でも「パーフェクト・デイ」は何とかして入れてほしかったな。

 

以上14曲1時間21分だ。こんなショウを一日に2回やっていたのか。かなりハードじゃないかな。しかしルーの声はこの日2回目なのに元気一杯である。元気一杯というか、あの「ルー声」で元気一杯に歌っている。クスリでもやっていたのかな。問題は演奏と歌がかみ合っているかである。

 

まあ、大雑把に言うと、ドラムの人、君はちょこちょこと叩きすぎだよ。隙間隙間にいちいちフィルインを入れなくてもいいよ。少しはチャーリー・ワッツを見習ってほしいものだな。特に1曲目「White Light/White Heat」は問題だよ。まあ、それでもルーは我関せずで、歌うことに集中していて、歌と演奏が合ってない感じが面白かったけど。3曲目の「I’m Waiting for the Man」は、「おっ」と思ったよ。原曲の性急さが苦手だったので、こういうまったりとしたヴァージョンは大歓迎だ。しかしエンディングがいただけない。ギターの人、君だよ。チャラチャラ弾き過ぎなんだよ。「混沌として」という言い方もあるがこれはそうじゃない。「ガチャガチャとした」終わり方だ。ドラムの君も同様だ。繰り返して言うが叩き過ぎだと思うぞ。もったいない。でも本編ラストの「Rock and Roll」はなかなかいいぞ。みんな弾き過ぎていない。これだよ。こういう風に最初からやってくれたら、かなりいい出来になったんじゃないか、と思ったんだけどな。

 

僕は「Heroin」と「Sister Ray」が未だ苦手なのでとばして聴いているが、ルー・リードのライブアルバムとしたら今作品は、かなりいいかもしれない。さっきまでの悪口は、ルーの出来がいいからこその苦言だったんだよ。気を悪くしないでくれ。

 

とか書いたら「Sister Ray」が流れてきてしまった。うん?なかなかロックな感じでいいじゃないか。これ10分じゃなくてもっと短かったら最高なんだけどな、と言うとファンに怒られそうだ。

 

 

 

 

いけない。こんなことしてたらタイトルに偽りあり、になってしまう。僕は今日ほんとはThe Weeklingsについて熱く語るはずだったのに。ああ、どうしよう。明日にするか。僕の元にご丁寧にも紹介してくれたアップルミュージックには感謝しなければいけない。届けてくれたのは「In Their Own Write」という彼らのライブアルバムだ。1曲目の「Little Tease」のイントロを聴いて10秒で「ワオ!」となった。正確には「ワオ!ビートルズか?」である。しかも「ワクワク感たっぷり」である。何だか昨年のThe Kafersを思い出したよ。The Kafers についてはJUNさんが、1曲の中にアイディアがたっぷり詰め込まれていると表現していたけれど、The Weeklingsの「Little Tease」もまさにそうだ。こんなバンドいたんだ。ようし、明日はもうThe Weeklingsデイにしよう。

 

 

 

 

昨日「忘れることは悪いことではない」と書いたばかりの僕だが、今朝大変な忘れ物をしてしまった。眼鏡である。朝、学校へ行こうとしたら眼鏡がない。どこを探してもない。かなりショックを受けつつも、「学校に置いてきたのか?だったらかなりまずいな」と思いつつ学校に行き、いろいろ探すがやはりない。家に電話をかけると、妻が「あったよ~」と言うではないか。それも普段置くはずのない場所に置いてあったそうだ。ここで僕は前言を撤回したい。「忘れないに越したことはない」と。

 

 

 

取り込んだ記憶がない

iPhone→ミュージック→アーティストで何気なくスクロールしていたら「The Fifth Avenue Band」というバンド名を見つけた。皆さんはこのバンドをご存じだろうか。僕は知らない。なのに僕のiPhoneにはちゃんと取り込んである。どういうわけだろう。いや、お前が取り込んだに決まってるじゃないかと言われるだろう。そうなんだけど、全く記憶がない。こういうこと(全く記憶がないこと)が最近増えてきた。

 

文章にしてもそうだ。昨日割と真面目に自分の記事を読んでみたが、「ここに書いてあったのか。全然覚えてないや。この前同じようなことを書いちゃったよ」と思うことが何度もあった。

 

「The Fifth Avenue Band」の話に戻ろう。バンド名がタイトルになっているので、これがデビューアルバムなのだろう。小さい音で聴いているので(今は朝4時。こんな時刻に記事を書くのは久しぶりだ)、詳細はよく分からないが、アメリカの70年代初期のバンドっぽい。11曲36分である。なかなか気持ちのいい音楽だ。調べてみっか。

 

「ピーター・ゴールドウェイを中心に結成されたフィフス・アヴェニュー・バンドのデビュー作。東部、西部、南部とアメリカ中の音楽要素を見事に消化した唯一無二の音楽を聴かせる」

 

「日本のシンガー・ソングライター・フリークの熱烈な支持を受けた6人編成のフォーク・ロック・バンド。1969年に唯一のアルバム『ザ・フィフス・アヴェニュー・バンド』を発表。解散後、各メンバーがオハイオ・ノックス、ハウディ・ムーン、ストーン・フラワーズというバンドを結成。メンバーのピーター・ゴールドウェイはソロ・アルバムも発表。マニアックな評価と人気を日本でだけ集めている。ライト感覚の洒落た歌と演奏が彼らの魅力」

 

 

だそうだ。はっぴいえんど山下達郎などがこよなく愛したバンドらしい。なるほど。今の僕の耳はこの音楽を「心地よい」と感じる。しかしなんだな。僕は所謂ジャケ買いをしてアップルミュージックに取り込んだのだろうか。音楽を聴いてもやはり記憶がない。多分、テデスキ・トラックス・バンドを聴いていた頃に、ご丁寧にもアップルミュージックが紹介してくれたのだろう。それに僕が食いついたのだろう。

 

まあ、何にせよ、「記憶にないもう一人の僕」はいい仕事をした。僕のベースにはない音楽だが、こういうところにも足を入れておこう、こういうところにも宝物があると思った記憶は確かにある。

 

というわけで、唐突にトモフスキーの「忘却toハピネス」を思い出した。歳をとるとどんどん忘れることが増える。残ったものこそがきっと素敵なモノだ、という歌だ。今の話とは少しニュアンスが違うけれど、とにかく忘れることは悪いことではない、と言い聞かせておこう。

 

そんな僕に昨夜素敵なコメントをくれた人がいる。Aliceさんという人である。Aliceさん、ごめんね。このブログは、嬉しいコメント等があると本人に了承なしで僕が勝手に紹介してしまう場でもあるんだ。コメントをそのまま載せるのも憚れるので、僕の方で簡単に内容を書くと・・・

 

Aliceさんは、近々語学検定を控えているらしくて(何語だろう?)、試験勉強に忙しい人だ。そんな人が僕のブログに引っかかってしまった(何だか僕は初心な女を騙す悪い男みたいだ)。最初は、ジョルジュ・ドンの記事を気に入ってくれたようだ。何と今まで読んだボレロ関連の記事の中で一番ビビッときたらしい(僕がそう言っているんじゃないよ。早速読み返してみたけれど、ただ懐かしかっただけだったなぁ。文章に勢いは感じられたけど)。

 

その他は80年代のブリティッシュ・ロックの方面の記事にも関心が向いたらしい。集団行動が好きではないという点は僕とおんなじで、そういうところも波長があったのかもしれない。とにかくこのブログを「見つけた」と思ってくれている。「あさイチ」での中谷美紀の様子について書いた文章にも共感してくれていた。素晴らしい人が僕のブログを見つけてくれたものだ。

 

 

いやあ、最近読者登録は増えるは、素敵なコメントを頂くはで嬉しい出来事が続いている。僕の今の状態は、精神的には今一つパッとしないのだが、こういうことがあるから何とかやっていけている。とはいえ今はそうっと生きていくしかないな。

 

ああ、でも思いがけないことに歌うことがまたできるようになってきた。と書くと大げさだけど、車の中で思わず鼻歌を歌っている自分に気づくことがあるってことだ。こんなことはすごく久しぶりなので、嬉しい。歌うとすぐに喉が痛くなるけど。また大きな声でいつか歌いたいな。

 

 

とか書いて、さあ、記事をアップするかと思ったら、ヤフーニュースではデヴィッド・ボウイ関係でざわついてるじゃないか。ジギー・スターダスト誕生直前のボウイを描いた「スターダスト」だとぉ?こりゃあ大変だ。チェックしなくちゃ。