hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

半年に1度は襟を正して聴こう

1980年の12月8日に亡くなってから、もう43年も経っているんだ。ジョン・レノンは40歳まで生きた。いつの間にかジョンが生きてきた時間よりもジョン不在の時間の方が長くなっている。時が経つのは早い。そんなわけで「ジョンの魂」である。普段このアルバムを聴こうとはあんまり思わないけれど、どうも精神的に煮詰まっている時に手をのばしているような気がする。

 

 

結論。このアルバムは半年に1度は襟を正して聴くべし。そして気持ちを立て直すのだ。

 

 

先週の土曜日に聴いたのは、きっとそういうことだったのだろう。なぜだか無性に聴きたくなったが、このアルバムを聴くのは一人の時じゃないとダメだ。妻がピアノ教室に行くのを待ってから聴いてみた。今回特に胸に沁みたのは「ホールド・オン」「アイ・ファウンド・アウト」「ウェル・ウェル・ウェル」だった。

 

 

「ホールド・オン」・・・自分自身、そしてヨーコに「持ち堪えれば大丈夫」「戦いに勝てる」と言い聞かせている。最後は全世界に「きっとうまくいく。きっと光が見えてくる」と歌っている。インタビューでは「一瞬一瞬を大切にすること。今、僕たちはそうやって生きているけど、本当にそうやって生きて、一日一日を大切に、そして恐ろしくも思っているんだ。最後の日かもしれないのだから」と語っている。

 

 

松村雄策は著書で、「ジョン・レノンが個人的な問題を歌った時、それはみんなの問題となった。つまり普遍性を持つのだ」というようなことを書いていたが、「ホールド・オン」にも当てはまる。僕も「頑張れ、俺」って思っちゃうんだから。

 

 

 

「アイ・ファウンド・アウト」・・・ジョンが偽りの偶像や宗教を信仰する世界に対する幻滅を歌った作品。そしてそのような信仰を行うことに対しての警告がなされている。僕はとにかくギザギザしたジョンのギターがズンズン心に突き刺さった。あとはリンゴのドラムスとクラウスのベースも好きだ。こんなにすき間だらけの演奏ができ、楽曲として成り立たせているなんてすごい。

 

 

 

「ウェル・ウェル・ウェル」・・・どうも今回はギザギザしたジョンのギターを求めていたようだ。これも「アイ・ファウンド・アウト」同様、ジョンのギターがギザギザしている。歌詞はジョンとヨーコの日常のありふれた出来事を描写している。(ここまでウィキをバンバン利用している)あとは間というかテンポが気持ちいい。このゆっくりしたテンポが昔はまどろっこしく感じたが、今は全然そんな風には感じない。

 

 

 

このアルバムが発表されたのが1970年、ジョン30歳の時である。そこから10年間(途中間は空いたけれど)ソロ活動を行い、1980年12月に40歳で亡くなった。今年は2023年で「ジョンの魂」が発表されてから53年経っている。僕はもうすぐ59歳になる。今回も改めて「ジョンの魂」を聴いて感動した。

 

 

 

それと吉井和哉が「ワーキング・クラス・ヒーロー」をカヴァーしているのも聴いた。これは聴き取ったものを書くから問題はないだろう。こんな歌詞である。

 

 

 

生まれてきたら「ご苦労さん」と目に見えない手錠をかけられる

お前の人生にはこの痛みを 

ワーキング・クラス・ヒーロー・イズ・サムシング・トゥ・ビー

 

学歴の使い方を間違えて世の中の善悪に失望した

中卒で太ってておふくろホステス そうファッキング・クレイジーと歌いましょう

ワーキング・クラス・ヒーロー・イズ・サムシング・トゥ・ビー

 

本当の幸せは家の中にある 知ってる でも社会で戦うためには

家族が敵になることもある 

ワーキング・クラス・ヒーロー・イズ・サムシング・トゥ・ビー

 

宗教とセックスと巨人の星 涙を流す田舎者  やらせだ全部やらせなんだ 

そうファッキング・クレイジーと歌いましょう

ワーキング・クラス・ヒーロー・イズ・サムシング・トゥ・ビー

 

それでも頂上を目指すのか 笑いながら人を殺せるかい?

働いて働いて平凡に感謝しよう 

ワーキング・クラス・ヒーロー・イズ・サムシング・トゥ・ビー

 

ジョン・レノンについてゆけよ ジョン・レノンについてゆけよ

 

 

 

 

吉井はこれまでにも名曲の和訳をしているがこの曲も冴えてる。原曲の歌詞を拾いながらも自分自身のことを歌っている。もっともっと彼の和訳を聴きたいものだ。

 

 

 

只今14時30分。学校である。無事消防署見学は行われたか?おぅ、行われたよ。天候に恵まれ、恙なく1組2組と見学することができた。5限目も無事終わり、今週の業務は6年の成績をつけること、3年担任に成績を渡すこととなった。

 

 

昨日は今後の去就についてネガティブなことを書いたが、妄想は止まらない。僕の頭の中ではもう3学期を最後に教員から足を洗うことになっている。何とか病休と休職で次年度を乗り切り、再来年の4月から再就職している。今はその再就職先をどこにするかの妄想で頭がパンパンである。

 

 

できれば小学生で不登校で学習意欲はあるけど学校には行けないという児童の家庭教師、なんて職があったらなあと思っている。結構需要があると思うんだけどな。年金はやはり繰り上げ受給するのは止めた方がよさそうだ。調べてみたらもらえる金額が違い過ぎる。やっぱり、再就職妄想へレッツ・ゴーである。

 

 

介護職は?うーん、力がないからパス。スーパーの惣菜屋さんは?雇ってくれるんなら喜んでやりたい。あとは何だろう?とにかくネックは精神疾患だ。これをクリアしないとどこにも行けない。週末は妄想デイズになりそうだ。

 

 

 

今夜はビールを飲みながらジョンの声を聴いて過ごそう。

 

 

 

じゃあ、おやすみなさい。よい週末を。

 

 

 

この1曲でご飯3杯はいける その5

このシリーズも「その5」まできたか。思えばレオン・ラッセルの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を聴いて感動したぞ、ということを書くためにつけたタイトルだった。

 

 

しかし「その2」から早くも主旨がぼやけてきた。僕の脳みその中にある「この1曲」を紹介したい、と思うようになったのだ。もしこの路線でシリーズ化したら、できるだけ多くの人に受け入れられるような曲を選びたいとも思った。

 

 

というわけで今日の1曲はボブ・マーリー&ザ・ウェラーズの「ナチュラル・ミスティック」です。「リデプション・ソング」にするか悩んだが、よりレゲエ色の強い「ナチュラル・ミスティック」を選んでみた。こんな曲です。


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この曲は、アルバム「エクソダス」(1977)の1曲目である。まずは極上のレゲエをどうぞ、というわけだ。「エクソダス」には「ワン・ラヴ」とかいろいろ人気曲が収録されていて名作と言われている。この「ナチュラル・ミスティック」は知る人ぞ知る超人気曲らしい。

 

 

このアルバムの前年に、マーリーは政治抗争に巻き込まれ、銃撃されている。その後イギリスに渡ってレコーディングしたのが「エクソダス」である。エクソダスというのは「脱出」を意味していて、銃撃事件の影響が色濃い作品になっているらしい。A面は彼の政治的な姿勢が窺える曲、B面はラヴソングなど彼の内面が窺える曲が配置されている。

 

 

僕は、働き出してから山川健一のエッセイを読んで「ナチュラル・ミスティック」を聴いてみたいなと思い、この曲が収録されている編集盤を買った。

 

 

つぶ訳@segawaxさんが和訳している。引用させていただこう。(繰り返すがこんな剽窃行為をしてごめんなさい。こういうのをコピペっていうの?)

 

自然の神秘が漂っている

耳を傾ければ聞こえてくるはず

もっと多くの人が苦しみ死んで行く

理由は聞かないでくれ

誰もが現実に向き合わなければいけない

彼らの問いに答えようと努めているが、過去を生きることは不可能なのだ

 

 

なかなかヘヴィな内容の歌詞だが、もっとディープな和訳をしている人もいる。「DJ AZOO」さんだ。ごめんなさい、もうやっちゃうよ。

 

 

空中を吹き抜けてゆく自然の神秘がある

よく耳を澄ましたなら 君にも聞こえるだろう

これは第一のトランペットかもしれないし最後のトランペットかもしれない

もっと多くが苦しまねばならぬ

もっと多くの人が死なねばならぬ なぜなのかは僕に聞かないでくれ

物事はこれまでと同じようにはいかないのだ

嘘はつかない

今こそ皆現実と向き合わなければいけない

彼らの全ての質問の答えを探してみても

過去を生きるのは不可能だということは知っていても・・・嘘はつくな

 

 

DJ AZOOさんの解釈は「『人間の理解を超越した神の力である自然の神秘』と『自然界にある神聖な草(←ガンジャ?だよな)を吸って深い精神世界で神と通じ合う』の2つの意味を上手に2重構造にした傑作」ではないか、ということだ。トランペットはどうも聖書の中に出てくるらしい。

 

 

 

正直言ってここまでヘヴィな内容の歌詞だとは思わなかった。これからは「うーん、気持ちいいねぇ」なんて聴き方はできなくなるな。僕は只々自然を賛美している歌だと思い込んでいた。考えてみればボブ・マーリーがのどかな歌を歌うわけないか。

 

 

と、まあ僕の「この1曲」を紹介するとなると、歌詞や曲が作られた背景にも言及せざるを得なくなる。そうするとまた剽窃行為に走ることになる。うーん、困った。こんなことばかりしていてもダメだと思う反面、自分にとっては勉強になるしな―という思いも拭いきれない。

 

 

でもやはりこういうことは続けちゃいかんよな。ここで一旦「ご飯3杯はいける」シリーズはお休みにした方がいいのかもしれない。今度書く時は、泥棒のようなことはしないでやりたい。(ウィキは別として)

 

 

 

昨日今日はほとんどがテストだった。その時間のうちに丸付けをして返してしまったので気が楽だ。明日も2つテストをする。明日明後日で4学年分の成績をきっちり処理して担任に渡したいものである。

 

 

僕が住んでいる地域、勤務している地域はインフルエンザが流行している。昨日は1クラス、今日は2クラスが学級閉鎖になった。高齢者がインフルエンザに罹るとやっかいなことになりそうだ。気をつけよう。それにしても僕は今までワクチンも打ったことないんだよな。こうなったらワクチン接種も考えてみなければいけないのかな。

 

 

 

ここまでの文章は、昨日書いたものである。やっぱり人様の文章を借りるのはどうもいかんよなぁと思い、記事をアップするのは止めにしておいた。でも書いたしもういいや、アップしちゃうぞ。

 

 

 

いいことを思いついた。日本版「この1曲」にすればいいのだ。あとはちゃんと詩集として販売されているものなら引用しても構わないかな?よしっ、これでいってみよう。

 

 

 

じゃあね。(←今日、2学年分の成績を渡したので少々疲れている)

 

 

 

この1曲でご飯3杯はいける その4

今日はご飯3杯でいきたい。となると、かなり自信を持ってお勧めできる楽曲にしたいところだ。というわけで昨日からさり気なく聴いているルー・リードの「パーフェクト・デイ」を紹介しよう。

 

 

昨日映画「パーフェクト・デイズ」でこの曲が流れていたと書いた。その時から頭の中で鳴り続けているんだよね。僕は、「パーフェクト・デイ」こそがルー・リードの楽曲で万人に受け入れられるだろう第1位の曲であると思っている。

 

 

初めて聴いたのは、高校時代だった。荒んだギザギザロックを追い求めていた頃だ。退廃とかSMとか煽り文句が凄かったアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」(ルー・リードが在籍していたグループ)を聴いて今ひとつピンと来なかった僕は、もう一度賭けに出た。ルー・リードのソロ第2作目の「トランスフォーマー」を購入したのだ。「トランスフォーマー」のA面3曲目に配置されているのが「パーフェクト・デイ」である。

 

 

1曲目は景気のいいロックンロール(でもタイトルは「ヴィシャス」)で始まって、「うん、いい感じだな」と思っていたら、2曲目は少し静かになり、3曲目で「おいおい、ロックンロールはどこに行ったんだ」となった。でも、一聴してこの曲の虜になったんだよね。ルーの声質が十二分に生かされている。

 

 

特に声がよれて聴こえるところ(2回目のサビのところ)。あの暗黒大王のルー・リードの声がよれるなんて思いもしなかったもんだから驚いた。長らく「トランスフォーマー」で聴くべき曲は「パーフェクト・デイ」「ワイルドサイドを歩け」「サテライト・オブ・ラヴ」の3曲だと思っていたし、今もそう思っている。

 

 

でも「パーフェクト・デイ」が素晴らしいっていう話はほとんど聞かなかった。これが不思議だった。みんなはやはりルー・リードに暗黒大王を求めていたのかな。それとも密かに愛聴されていたのかな。

 

 

ネットで検索してみると、この歌の和訳が載っていた。遠慮しながら、ごめんなさいをしながら引用させていただこう。和訳したのは「放浪の向こう側」さんという人である。5年前のものだ。

 

 

 

ただただ完璧な一日だ

公園でサングリアを飲んで

そして、その後 辺りが暗くなって、僕たちは家路に着く

ただただ完璧な一日

 

動物園で、動物にエサをあげて

それから映画でも観て、そして家に帰る

ああ、なんて完璧な一日だろう

 

そんな完璧な一日を君と一緒に過ごすことができて僕はとても嬉しいよ

君は僕をかろうじて生かしてくれている

君は僕をかろうじて生かしてくれている

ただただ完璧な一日

 

問題はすべて置き去りにして

僕たちだけの、週末の楽しみなんだ

ただただ完璧な一日

 

君は僕が何者であるかを忘れさせてくれる

何だか自分が、誰か別の善良な人間のように思えたんだ

ああ、なんて完璧な一日なんだろう

 

そんな完璧な一日を

君と一緒に過ごすことができて僕はとても嬉しいよ

 

君は僕をかろうじて生かしてくれている

 

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

 

 

 

気になる箇所はいくつかある。まずは「君は僕をかろうじて生かしてくれている」だ。全くその通りだよ、ルー。俺もそうなんだ。妻が居なかったらなんもできない男なんだよ。いろいろ想像してみたんだけど(妻に先立たれた時のこと)、何回シミュレーションしてみても、僕はクズ人間になってしまうんだ。それなのに彼女にひどいことをしていることも事実なんだ。僕が先に死ぬことになった時には「ありがとう」なんて言えないな。「ごめんね」と言うしかない。

 

 

次は「自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない」だ。これも今、正に直面していることなんだ。全く気づくのが遅い人間だよ、俺って。ルーに4回もこのフレーズを歌われた日にゃあ俯くしかないね。まだ20代だったと思われるルー・リードの歌詞にもうすぐ還暦を迎えようとしている男が打ちのめされているんだから笑えるね。でも死ぬまでにすべて刈り取らなきゃね。自分で蒔いた種だもんね。

 

 

あとは「君は僕が何者であるかを忘れさせてくれる/何だか自分が、誰か別の善良な人間のように思えたんだ」だな。ホントに困惑してるんだけれど、妻は僕のことを人間として結構評価してくれているらしい。そうじゃなきゃ一緒に暮らしてないか。まあ「善良」と言われたことはないけどね。

 

 

今日みたいな日に「ただただ完璧な一日」と歌われると、「そうだな」と思ってしまう。今日はそんな一日だった。

 

 

どうです奥さん?そろそろ聴きたくなりましたか?いっちょうYouTubeで聴いてもらいましょうか。いい歌ですぜ。


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昨日の精神科受診で「寝てもすぐに目が覚めてしまう」と言ったら、主治医が新しい薬を処方しようとしたので慌てて「頓服は飲まないようにしてるんで、これから飲んでみます」と言った。これ以上眠剤を増やされちゃあ堪らんよ。主治医は「脳は休めないと」と言う。僕は休日出勤していたことは言わないでおくことにした。

 

 

それから「ここまで来たら、最後まで貴方に付き合うから」とも言ってくれた。きっと全てお見通しなんだろうな。僕のダメっぷりを。2週間後、もう一度受診をして冬休みに年休で凌ぐか、病休を取るかを決めることにした。

 

 

 

今日は妻と仲良く担々鍋を食べる予定だ。今から作ろうと思う。

 

 

 

今週は成績処理の毎日だ。テストの丸付けと児童を評価する日々が僕を待っている。成績を担任に渡せば一息つけるかな。

 

 

 

それじゃね。バイバイ!

 

 

 

この1曲でご飯2杯はいける その3

さあ、土曜日の始まりだ。只今午前4時半。シャワーをして、ギタ練をする前にちょっくら記事を書くか。ああ、そういえば昨日で今年300記事を書いたことになったんだ。めでたいことである。今年も頑張って書いたものだよ。

 

 

今日も「この1曲でご飯2杯はいける」シリーズだよ。でも今日の曲は万人向けというわけにはいかない。あまりにも暗い楽曲だからね。紹介しよう。映画「ベティ・ブルー」から「Des Oragees Pour La Nuit」だ。またしてもサントラ盤からの1曲なのだが、この曲は僕にとっては思い出深い曲である。

 

 

どうしてかというと、この曲は長らく遠藤ミチロウのライヴでの出囃子として使われていたからだ。1990年代後半から2003年くらいまでだったかな。その後ミチロウの出囃子は、ドアーズの「ジ・エンド」になった。

 

 

初めてミチロウのライヴを金沢まで見に行った時にこの曲を聴いた時は驚いたものだ。「なんだなんだ、何が始まるんだ」って思ったよ。不穏な何かが今から始まるって思った。この曲が鳴ってしばらくしてからミチロウは登場して、ギターのチューニングを始める。そして徐に1曲目のイントロを奏でるのだった。と同時にこの曲がフェイドアウトする。ライヴの始まりとしては最高だ。

 

 

僕は長らくこの曲は、誰かがミチロウの出囃子の為に作った曲だと思っていた。だから聴けるのは1年に1回、ライヴがある時だけだと思っていたし、その時を楽しみにしていた。しかし、ミチロウが出囃子に「ジ・エンド」を使うようになってから、「これ(今までの出囃子)はひょっとして誰かの曲かもしれない」と思うようになった。しかし、どうやって探せばいいのか分からない。当時は検索ツールなんて普及していなかったからね。そしてミチロウとはまだ気軽に喋れるような間柄でもなかった。

 

 

そしてある日映画「ベティ・ブルー」を観ていたら突然この曲が流れてきたのだ。その時の驚きと言ったら・・・である。「おおーっ、そうだったのかぁ~。『ベティ・ブルー』だったのかぁ~」と長年の疑問がついに解けた感動で僕の胸は張り裂けそうだった(←大げさ)。勿論速攻でサントラ盤を買いに行きました。

 

 

それからしばらくはこの曲に嵌っていたなあ。でも暗くて不穏な曲なので仕事前には聴かないようにはしていた。というわけで聴いたからといって元気になるわけではないので今日もご飯2杯にしておいた。

 

 

この曲の一番の肝は最初の1分10秒までだ。その後からはいろいろな音が入り込んで、不穏さが段々薄れてくる。最初の硬質なシンセのリフをただひたすら繰り返してくれてたら最高だったんだけどな。映画(確か男女の破滅的なストーリーだったような気がする)では、物語の後半に2人がいよいよダメになってきたぞ、っていう時に使われていたように思う(間違っていたらごめんなさい)。

 

 

今この映画を観るとしたら、きっと最後まで観ることはできなかったろう。それくらい救いのない映画だったように思う。何故当時この映画を観ようと思ったのかも判然としないが、こういう奇跡のような偶然ってあるんだなと思った次第である。それでは聴いて下さい。


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今日は今イチの日だった。妻とはちょっとしたことで険悪になったままだし、外出してもちょっとしたことが癇に障ってしょうがなかった。今も少しピリつきながら記事を書いている。今日、僕はこのままだと夕食は作らないだろう。妻は今2階でピアノの練習をしている。さて、どうしたものか。

 

 

でもギター教室は行ってよかった。朝練をしたかいがあった。それに金曜日の「あさイチ」で役所広司が出演する映画「パーフェクト・デイズ」が紹介されていて、ルー・リードの「パーフェクト・デイ」が流れているのに興奮した。いいこともあったのだ。だからめそめそしないで、ちゃんと妻に話しかけよう。何でもいいから話しかけるのだ。そしてその結果を今日の記事の締めくくりとするのだ。よしっ、やるぞ(只今17時30分)。

 

 

 

 

只今18時5分。妻はピアノ教室に行った。今から5分前のことを再現すると・・・

 

 

妻が2階から降りてくるなり「ピアノ教室に行ってくるわ」と言ったので、すかさず「なんか買ってきてくれん?」と返した。「例えば?」と妻。僕は「カレーとか・・・」と言った。妻は「分かった。じゃあ、チャンピオンカレー買ってくるわ」と言って家を出た。

 

 

どうだろう?仲直り、できたのかな?できたということにして今日の記事を終えることにする。

 

 

 

バイバイ!またね!

 

 

 

この1曲でご飯2杯はいける その2

昨日は「この1曲だけでご飯3杯はいける その1」として記事を書いたが、今日は第2弾である。なにい?昨日はご飯3杯で今日はご飯2杯かい?と言われると思うが、まあ許してくださいよ。これから紹介する曲が昨日より劣っているとかそういうわけではないので。それではいきましょう。

 

 

今日は「コーリング・ユー」という曲である。タイトルを知らない方も、一聴すると「ああ、あれか」と思われる方もいらっしゃると思います。映画「バグダッド・カフェ」の主題歌です。歌っているのは、アメリカのジェヴェッタ・スティールという人だ。プリンスとも関係がある人らしい。調べたら同郷(ミネアポリス)だった。そしてプリンスのツアーでバック・コーラスを務めつつ、ソロ活動もしていたようだ。

 

 

それではお聴きください。

 


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思い出しましたか?名曲でしょ?まずはイントロ。この不穏な4つの音で一気に聴き手の気持ちを別世界に連れて行ってくれる。たった4音でだよ?凄いね。何回聴いても「ああ・・・」とウットリする4音である。イントロクイズで1音だけ鳴らしても「ピンポン!」とボタンを押す人が多数いると思われる。

 

 

そしてすぐに、何とも言えない響きを持ったヴォーカルが入る。この声の成分は特別なものだ。是非誰かに彼女の声の成分を分析してもらいたいものである。プリンスはきっとこの声にやられたに違いない。

 

 

最初のヴァースにウットリしている暇はない。すぐにサビだ。これがまた必殺のサビで、いやはや困ったものである。僕をあっという間にもう一段上の異世界に連れて行ってくれる。そんな感じしませんか?これも前回のレオン・ラッセル同様いつまでも歌っていてほしい。5分少々で終わるなんてもったいないよ。

 

 

映画「バグダッド・カフェ」は1987年に公開されたドイツ映画である。僕がこじゃれた映画をよく観ていた頃だ。映画館で観たのかな?それともレンタルで借りて観たのかな?記憶は曖昧だが、この曲を聴いてすぐにCD屋さんに走ったことは覚えている。この1曲だけのためにサントラ盤を買ったのだった。

 

 

「不協和音を上手く活かした神秘的・魅惑的なコード感と、ヴォーカルのロングトーン。この『コーリング・ユー』で一躍有名となったジェヴェッタ・スティールのパワフルでしなやかなヴォーカルが世界観にフィットしますね」と誰かが書いている。悪いけど、歌詞も引用させてもらおう。

 

 

 

ラスベガスから何処かへ続く道

あなたが今までに行ったどんな場所よりも素敵な何処か

曲がり角にある小さなカフェの 修理が必要なコーヒー・マシン

 

 

私はあなたを呼んでいるの ねえ、聞こえるでしょう?

あなたを呼んでいるの

 

 

熱く乾いた風が 私に吹き付けるわ

赤ん坊は泣きっぱなしで眠れやしない

でも私たちは知っているの

ささやかな変化がもうすぐそこまでやって来ていることを

 

 

私はあなたを呼んでいるの ねえ、聞こえるでしょう?

あなたを呼んでいるの

 

 

 

どうかな?ご飯2杯はいけたでしょ?でもこのあまりにも魅惑的な曲にご飯何杯なんて下品なことは書けないから少し遠慮して2杯としたのだ。

 

 

いつまででも聴いていたい曲というのは、曲の構造自体はシンプルなものが多いかもしれないな。

 

 

 

 

コーリング・ユー」の話はこれくらいにして、最近(でもないか。結構前からである)困っているというか、悩ましいことがある。それは「~という」問題である。

 

 

 

 

僕が「~という」と書くと、Wordが勝手に全部「~と言う」と変換してしまうのが悩み事だ。何だよ、それくらい調整しろよ、と言われるかもしれないが、「~と言う」と書きたい時もあるので弱っている。しかし最近のいろいろな記事を読むと、「~と言う」と書くべきじゃないところまで「言う」を使っていることが多くない?なんか違和感があるんだよね。僕の感覚がおかしいのかな。ちょっと調べた方がいいかもしれない。でも書いたので少しスッキリした。

 

 

 

今週も終わった。とにもかくにも1週間を切り抜けたのだ。ここはビールで乾杯といきたいのだが、今気づいたよ。買いにいかなきゃ。

 

 

というわけで、今からコンビニに行って来ます。

 

 

明日はギター教室と精神科受診という2大行事が控えている。ギターの練習は・・・例によってしてない。明日の朝、猛練習するしかない。それにタイヤの交換や散髪もしたい。そうは言ってもあんまり用事を詰め込み過ぎるのもよくないよね。

 

 

 

ではでは。

 

 

 

この1曲でご飯3杯はいける その1

アルバムを丸ごと聴いて「いいなあ」と思うことがもちろん多いんだけれども、「この曲だけいつまでも聴いていたい」ということもある。今回の記事のテーマは後者である。特にオムニバスアルバムなんかで「この曲最高!」と思うケースが多いように思われる。さあ、それでは曲の紹介をしよう。

 

 

レオン・ラッセルの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」である。正確には「ジャンピング・ジャック・フラッシュ~ヤング・ブラッド~ジャンピング・ジャック・フラッシュ」というメドレーである。

 

 

僕がこの曲を初めて聴いたのは、30代の頃にジョージ・ハリソン主催の「バングラデシュ・コンサート」をCDで買った時だ。その時は「なんで『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』のイントロをピアノで弾くんだよ、興覚めじゃないか」と思ったものだ。しかし月日は経ち、僕も50代後半を迎えた。そしてある日、iPhoneに一応入れてあったこの曲を聴いているうちに「あれっ?いいじゃん」と思ったのであった。まあ、いつものことである。

 

 

ああ、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」という曲はね、オリジナルはザ・ローリング・ストーンズで、・・・・(省略)・・・・レオンはその曲をカバーしたわけである。他にもアレサ・フランクリンジョニー・ウィンターなんかがカバーしているのかな。

 

 

今聴くとレオンのピアノで奏でられるあの印象的なイントロからもうご飯1杯目をペロリと食べられる。そこにビリー・プレストン(かな?)のキーボードが絡む。所謂スワンプロックになるのかな。スワンプロックというのは・・・・(省略)・・・・。

 

 

そこからレオンのミック・ジャガーとはまた違った感じの挑発的というか、とんがったヴォーカルで曲は始まる。そこに女性ヴォーカル隊が絡む。「フゥーフゥー」というコーラスはまるでストーンズの「悪魔を憐れむ歌」である。この「フゥーフゥー」コーラス隊とシャウトしまくる女性ヴォーカルが主役その2である。主役その2にハマればご飯2杯目決定である。

 

 

間奏では結構ギターを弾きまくっているようだが、誰だろう?(もしかしてクラプトンですか?)すぐに2題目が始まる。そして再び間奏。曲自体はシンプルだけどかっこいい(ってもちろんか。ストーンズ最強のナンバーだもんな)。段々女性ヴォーカルの存在感が増してくる。これはずっと続けてほしいぞ。そして僕の希望通り、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」は延々と続く。

 

 

終わったかな?いやいやここからがホントに凄いぞ。騙されたと思って聴いてみてくださいよ。レオンがなんかゴスペルみたいな感じで歌というか早口喋り(お経ラップみたいなの)というかそんな感じで煽る煽る。女性ヴォーカルがレオンのヴォーカルに絡む。これは気持ちいい。ここでご飯3杯目だ。もし教会でこの演奏をしたらきっと信者は熱狂するだろう。教会の床は揺れるだろう。

 

 

ずっと続けてほしいなと思っていたら、「ヤングブラッド」に入る。この曲もかっこいい。曲の繋ぎ方を聴いて、レオンはセンスいいなあと思ってしまう。

 

 

しばらく「ヤングブラッド」に聴き入る。すると、再び早口お経ラップゴスペルが始まる。今度は長い。長い分気持ちがいい。それにしてもよく口が回るな。息も続くな。女性ヴォーカルも掛け合いで入ってくる。オルガンも絡み付いてくる。つまりサイコーの演奏である。

 

 

最後は「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のサビだ。これで終わりかぁ。良かったなぁ、と思っていたら、また少し早口お経ラップをしてから曲は終わる。約10分間の演奏はこれで大団円である。結果めでたくご飯4杯目を食べ終わった。ご飯3杯で終わらなかったな。

 

 

YouTubeにあるかな?と思って探してみたけれど、フルで観られるものはなかった。残念である。


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こちらは音だけバージョン。


www.youtube.com

 

 

レオン・ラッセルは他にも名曲があるのでよかったら探してみてください。これはいい物件ですぜ。

 

 

お前、「その1」って書いてあるんだから、当然数曲はストックがあるんだろうな、と言われそうだが、もちろんそんなストックは1曲もない。ただの思いつきです。でもその1を書いちゃったんだから頑張ってその2を探してみるぞ。

 

 

 

そうだ、YouTubeストーンズの新しいPVを発見したよ。ポールがベースで参加している曲。動いている彼らのPVを見てるのは楽しいな、と思っていたらこのPVの元になっているライヴ動画も発見した。リアルな演奏はこんな感じだったんだ。結構よれている感じを抱いたのは僕だけだろうか?スタジオバージョンが凄い迫力だったからからかな?


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何だかんだ言って11月ももう終わる。明日からは1年の最後の月、12月が始まる。そして今週も明日で終わる。水曜日の朝はもう学校に行くのやめちゃおうかな、くらいに思ってたんだけど、何とか気持ちを立て直すことができたよ。それこそよれよれでもいいじゃないか、と思えるようになったんだ。あと14日、よれよれの授業をしていこう。

 

 

 

それじゃあ、そろそろお暇します。お邪魔しました。

 

 

 

バイバイ!

 

 

 

CDは体脂肪率が低いように思う

今日の朝、と言っても深夜の2時頃だが、B&WのスピーカーでCDを聴きたいと思った。これまでにもそう思ったことがあったんだけど、「どんなケーブル買えばいいんや?」と悩み、結局諦めていた。しかし、今朝は違った。ピカーンと閃いた僕はアンプの裏を覗き込み、Bluetoothレシーバーのケーブルがどうなっているかを調べた。そしたら僕の所望のケーブルが見えたのだった。

 

 

何をピカーンと閃いたかというと、①僕はDVDレコーダーをCD再生に使っている。②テレビのイヤフォンジャックとステレオアンプのAUX端子をさっきのケーブルで繋げば、もしかしたらCDが聴けるかも、と思ったのだ。

 

 

よしっ、繋ぐぞ。ドキドキするなあ。あんまり期待しないで知らん顔をしながら繋いでみよう。

 

 

そうしたら鳴りましたよ、奥さん。DVDレコーダーに入れたザ・ルースターズのファーストアルバムの1曲目「テキーラ」が鳴りました。まだ深夜なので小さめな音です。これをでっかい音で聴いたらどうなるだろう。

 

 

それから僕は例によってもう一度寝床に入り、目覚めたら朝ご飯を食べ、妻が出勤するのを待った。いよいよ爆音で鳴らす時が来た。選んだCDはボ・ガンボスのデビューアルバムだ。

 

 

 

なるほど。これがCDの音か。そう言えば、ステレオアンプを通してCDを聴くのは何十年ぶりだろう。うーん・・・もちろんレコードのプチプチ音は聴こえない。それはいいんだが、何だか線が細いな。ベースの音はブンブン聴こえてはくるんだけど、うーん・・・。ギターのキレもいいんだけど・・・なんだろう、この感じは。

 

 

ちょっとすました感じのクール・ビューティーみたいな音かな。体脂肪率は低そうだ。腹筋はきっと割れているな。それに対してレコードはもっとふくよかな音だと思う。体脂肪率もCDに比べて高い。お腹周りには少し脂肪がついているかもしれない。僕はどちらかというとふくよかな感じが好きである(何の話をしているんだ)。

 

 

僕の持っている(数少ない)CD自体古いものだからこういう印象を抱くのかな。今のCDはだいぶ音が生々しいとJUNさんも書いていたような気がする。これは・・・もしかしてCDも買うことになるのか?いやいやそんなことしてたら大変なことになる。でも1枚の単価はレコードとは比べ物にならないほど安価だしなあ。2,3枚くらいは試してみる価値はあるかもしれない。

 

 

野球選手に例えると、CDが全盛期のイチロー選手で、レコードが今の大谷選手、みたいな感じかな。もしかしたらちゃんとCDプレイヤーを買って然るべきケーブルを使ってアンプを通して聴くと今とは印象が変わるかもしれない。

 

 

 

それにしてもこの忙しい学期末に何てことを思いついてしまったのだろう。また忙しくなるじゃないか。僕はきっとレコードと聴き比べるだろう。レコードもCDも持っているのはビョークのデビューアルバムとビートルズの「ヘルプ!」だ。聴き比べるのはもう少し先に延ばしておこう。

 

 

 

今日はたったの3コマしか授業がなかったのに、精神的にも体力的にも随分疲れた1日だった。異動希望の調書が昨日配られた。それについて(来年度の去就について)考えている時間が長かったかな。でもテストの丸付けはしたし、明日のプリントも何とか作った。失くしてしまった明治維新の学習に使う資料も作った。結構働いているじゃないか。なんもへこむ必要はないよ、と自分に言い聞かせることにしよう。

 

 

 

ちょっとCDの悪口みたいになったが、B&Wはいい仕事をしていると思う。もう一度書くが、ベースは気持ちがいいよ。今聴いているのは、ニューエスト・モデルの「ユニバーサル・インベーダー」である。

 

 

 

 

じゃあ今日はこのへんで。おやすみなさい!

 

 

 

 

敬意をもって音をいじる~ザ・ビートルズ「赤盤」~

ザ・ビートルズの「赤盤」(2023ミックス)を聴いた。全38曲、1時間35分である。まだ1回しか聴いていないので、これから何回も聴くうちに変わるかもしれないが、初めて聴いた時の印象を書き留めておこう。

 

 

まず僕はレコードが届く前に、我慢できなくて時々観ているサッカリンさんのユーチューブ番組を観てしまった。これまで数々のビートルズ関連の動画を作ってきた人だ。ビートルズ初心者の僕にとってもとても面白い動画である。そのサッカリンさんが「赤盤」「青盤」2023ミックスについて話している、これは観たいぞ、となった。だから今日書くことはその動画の影響をかなり受けている。これはパクリじゃないか?くらいのことを書くことになるかもしれない。


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勝手に貼り付けちゃったけど、いいのかな?怒られたら素直に謝ろう。

 

 

ココアパウダーと水とミルクを混ぜてココアを作った(この例え話からしてもうサッカリンさんからのパクリだ)。そのココアをココアパウダーと水とミルクにもう1回戻すのは不可能である。しかし、今回のリミックスの際、それが可能になった。つまりギターとベースとドラム、ヴォーカル等が一緒に入っているトラックからそれぞれの音を取り出すことができたということだ。しかしジョンとジョージのギターを分離させることは難しかった曲もあったみたいだ。

 

 

今までビートルズのレコードは所謂「泣き別れミックス」の曲が多数あった。つまり、片側にヴォーカル、反対側に主な楽器が鳴っているというミックスである。それぞれの音(楽器やヴォーカル)を分離することが可能になったことで、その「泣き別れミックス」が解消されているんだって。

 

 

曲ごとの細かい分析はいろいろなところでされているだろうから、1回聴いてみた今、大雑把に言うとどう感じたのかを書いてみよう。

 

 

まず、ドラムとベースがほぼ真ん中から聴こえてくる。そして音がデカい。一番驚いたのは「ア・ハード・デイズ・ナイト」のイントロの最初の音である。あまりにもデカくて妻が飛び起きて文句を言ったほどだ。ほぼどの曲もドラムとベースが真ん中寄りに配置されているので聴きやすいことは確かである。今風になったとも言えるだろう。

 

 

次はギターである。ドラムとベースを真ん中寄りに配置することで今まで聴こえなかった音が聴こえるようになった(と思われる)。マニアの人は「こう弾いていたのか!」なんて思ったりするのかもしれない。今風に言うと「答え合わせ」ができるミックスになっているのではないだろうか。僕は(多分)ジョンが弾いているアコギがとにかく気持ちよく聴くことができたのが嬉しい。

 

 

ヴォーカルも真ん中寄りになった。「泣き別れミックス」は、ジョージ・マーティンがCD化する際に少しだけヴォーカルを真ん中に寄せたらしい。そしてそれから何十年も経って息子のジャイルズがヴォーカルを更に真ん中に寄せた。ついにヴォーカルと楽器が出会ったというわけである。

 

 

曲でいうと「デイ・トリッパ―」に衝撃を受けた。こんなハードだったっけ?というくらいの迫力である。つまり、ジャイルズ・マーティンは音を取り出して定位を変える(リミックスする)だけではなく、音を太くするというか強くするというか、とにかく何らかのエフェクトをかけて音をいじっているのである。その結果「デイ・トリッパ―」はパンチの効いたハード・ロックに変身した。こんなことして許されるのだろうか?

 

 

僕はいろいろ思うところがあったが、レコードを最後まで聴いて、許される、と思った。乱暴なことを言わせてもらうと、この作品はザ・ローリング・ストーンズの新作「ハックニー・ダイヤモンズ」と同じである。世界中の万人に聴いてもらうために作ったのだ。そのために現代の最新の技術を駆使して、今を生きている人たちに向けて作ったのだと思う。そして何より、ジャイルズは敬意をもって音をいじっていると感じた。だからいいんじゃない?

 

 

松村雄策なら何て言うだろう。きっと面白がったと思うな。天国で「お見事お見事、あっぱれあっぱれ」と拍手喝采しているかもしれない。でも、50代60代のビートルマニアの人たちは「何てことするんだ。これはビートルズに対する冒涜だ」と立腹する人もいると思われる。そういうビートルズ原理主義者(?)の人は今までのレコードを聴いていればいいのだと思う。

 

 

僕はどうするだろう。きっとこれを聴いたり、昔のを聴いたりするだろう。「泣き別れミックス」に僕は変態的というか、ギザギザした意志を感じているんだよね。

 

 

とにもかくにもこんなに大規模なことができる、しちゃうっていうのは、ビートルズがあまりにも偉大だからこそだ。今の人には「こ~れは聴かなきゃダメでしょ?これがロックだよ。50年数年前に世界中が熱狂した音楽だよ」と力強く言いたい。

 

 

あ、書き忘れてた。今まで僕はジョージのギターって何だかたどたどしく聴こえることがあって「うーん・・・」と思っていたけれど、そんなことは全然なかった。ジョージのギターはビートルズの各楽曲に絶大な影響を与えていることがよく分かった。最初っからセンスよかったんだね、ジョージ。今まで舐めててごめんよ、と言いたい。まあ僕の耳が阿呆だったんだな。特に「抱きしめたい」で聴こえてくるアクセントをつけるためのギターはホントに気持ちいいよ。

 

 

 

一応いろんな人に失礼のないように気を遣って書いたつもりだが、これが「赤盤」を最初に聴いて思ったことである。この調子だとホントに数年後には全オリジナルアルバムでこういうリミックスがされていそうである。でもビートルズの音をいじっていいのはジャイルズ・マーティンだけにしてもらいたい。彼の作品(作品と言ってもいいと思う)だけでもうお腹一杯だよ。

 

 

只今午前4時40分。もう1回寝なきゃ、今日持たないぞ。じゃあね!

 

 

 

今日はもう1回寝ることができたけれど、午前で沈没した。午後の6年生の歴史の学習では、動画に頼るしかなかった。月曜日は毎週なかなか厳しいということが今更ながらだが分かった。うん、無理せずそぅっと、が大切ですな。

 

 

 

ではでは。赤盤について間違えてたらごめんなさい。

 

 

 

ライナーノーツは読まない派だったのに

昔、レコードを買っていた時には結構熱心にライナーノーツを読んでいたように思う。なんてったって文字情報はそれしかないからね。確か渋谷陽一ってビートルズの全アルバムのライナーノーツを書いてなかったっけ?あれはCD時代になってからだったのかな。

 

 

まあとにかくライナーノーツはレコードを聴きながらとか聴いた後とかに読んでいた。もしかしたらレコードを聴く前にも読んでいたかもしれない。当時の僕はライナーノーツに書かれていた美辞麗句を読んで、「そうか、そんなにすごいのか」と思いながら読み、レコードを聴いていた。

 

 

そんな僕だが、今年になって買うようになったレコードのライナーノーツは一切読まなかった。理由は特にない。というかレコードを聴けば分かるだろ?くらいに思っていた。それに知りたいことはウィキで調べれば大抵分かるしね。だからタイトルにある「読まない派」というのは今年に入ってからのことである。それが昨日「これはライナーノーツを読まねば!」と思う作品に出会った。

 

 

キャット・スティーヴンスの「ティーザー・アンド・ファイヤキャット」というアルバムである。このアルバムについては最近ちょびっと書いた。朝方小さい音で聴いたがなかなかしみじみとしていいアルバムだ、みたいなことだ。

 

 

そのアルバムを昨日の夕方にいつものボリュームで(つまり大音量で)聴いてみたら、「これは大変な傑作だ」と思ったわけである。何気なく買ったアルバムだけど、これはいい。今年のベスト10、いやベスト5に入るかもしれないアルバムである。

 

 

マリア・マルダ―のアルバムは600円だった。このアルバムは800円だった。これからもよく聴くであろうと思われる大名盤2枚が合わせて1400円だ。ちょっと信じられないな。まあとにかく僕はいい買い物をしたわけだ。毎回セコイ話で申し訳ないが、レコード業界ってほんとにピンキリだな。そして安い逸品は、必ずあることが分かった。

 

 

キャット・スティーヴンスのことをもっと知りたい、と思い早速ウィキで調べてみた。いろいろなことが分かったけれど、肝心のこのアルバムの情報がない。そこでライナーノーツだ!となったわけである。

 

 

ライナーノーツの内容に触れる前にまず僕が彼を聴いた印象を書いておかねば。

 

 

まず1曲目の「ザ・ウィンド」のイントロのアコギの響きが素晴らしいことが一聴して分かる。何とも言えぬ滋味深さというか豊かというかそんな音にウットリしていると、すぐに思いのほか大きめのボリュームでキャットのヴォーカルが入る。この声もまた素晴らしい。あたたかい、実直そうな声だ。アコースティックな曲にピッタリな声である。この1曲で僕はこのアルバムの世界に引き込まれた。わずか1分40分の曲だが、至福の時間である。


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2曲目の「ルビーラヴ」は少し異国情緒が感じられる曲。これも一発で気に入る。この曲は2分34秒。短いが、繰り広げられる世界はとても広く感じる。あ、それと書くのを忘れていたが、レコードの状態がとてもいい。チリチリした音は全然聴こえてこない。そのことも僕を気持ちよくさせているのだろう。

 

 

4曲目「幸せの光が」はドラムも入った賑やかな曲だ。こういう賑やかな曲もいいんだよなあ。いつまでも聴いていたい。

 

 

5曲目「渚をつつむ海のように」では打って変わってしっとりじっくりナンバーである。とにかくA面の5曲はどれも素晴らしい。この調子はB面も続く。10曲33分、何回も書くが至福の時間である。そろそろライナーノーツを読んでみるか。

 

 

「さて、アルバム『ティーザー・アンド・ファイヤキャット』は1971年に発表された傑作である。『白いバラ』『父と子』に次ぐ3枚目のLPで、事実この作品がキャット・スティーヴンスの人気を決定づけたと言ってもいい」。そうか、世間もこの作品を受け入れたんだな。そりゃそうだな。

 

 

アメリカでもビッグ・セラーとなったのはもちろん、彼の才能、個性、作風、アーティストとしての存在価値などが高く評価されたのであった」そうか、アメリカで売れたんだ。このライナーノーツは1978年に書かれたものなので、きっと再発盤なのだろう。ライナー前半には1977年までの彼の活躍ぶりが書かれている。

 

 

あとは、例えば「創作に対するキャット・スティーヴンスの姿勢」とか「こうした非凡な才能を支えたのは、繊細な感受性とにごりのない鋭い感覚、がんこなまでの誇りと情熱、とぎすまされた豊かな表現力」とか「音楽の美を追究する真剣な気持ちが、自らの精神力の修練、はては人間存在の極みにせまろうとする求道の姿勢と一致し、禅や仏教にまで傾倒していく」などの美辞麗句が並んでいる。ライナーノーツっぽいな。懐かしいよ。

 

 

そんなこんなで僕はまた新たに素敵な人を見つけたのであった。

 

 

 

 

今日は朝の8時半に家を出て、親戚の家に玄米を取りに行き、精米所に行き、スーパーで買い物をして、実家に行った。そのまま家に帰ってYouTubeを観ていたが、これじゃあいかんと思い、プリント作りに精を出した。家で仕事をするなんて久しぶりだ。でもこれで月曜日と火曜日は凌げるかな。

 

 

その後、再び妻と実家に行き、おかずをもらってきた。今日の夕食作りはお休みだ。

 

 

明日から3週間は学期末の戦いだ。心穏やかに粛々と授業をしていこう。

 

 

 

それじゃあね。日曜日ももうすぐ終わるね。バイバイ!

 

 

 

 

こっそり書くけど、ビートルズの「赤盤」と「青盤」が届いたんだ。「赤盤」は全部聴いたよ。

 

 

 

 

天才に神が舞い降りた日

今日は何だか大仰なタイトルだが、久しぶりのボブ・ディランである。ジョージ・ハリスン主催の「コンサート・フォー・バングラデシュ」に参加したディランは、極度の体調不良だったらしい。しかし、昼夜のコンサート2回ともに参加した。出演したこともそうだが、この日のディランの調子は、人の域を超えていた(どこまでも大仰)。1971年8月1日というのは、ディランという稀代の天才に神が舞い降りた日だったのだ。

 

 

レコードに収録されている曲を紹介しよう。

 

・A Hard Rain’s A-Gonna Fall(激しい雨が降る)

・It Takes A Lot To Laugh , It Takes A Train To Cry(悲しみは果てしなく)

・Blowin’ In The Wind(風に吹かれて)

・Mr. Tambourine Man(ミスター・・タンブリン・マン)

・Just Like A Woman(女の如く)

 

 

このコンサートのディランについては以前書いたことがある。しかしレコードで聴くとディランの声がより一層特別に聴こえる。

 

 

バックを務めるのはジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター)、レオン・ラッセル(ベース)、リンゴ・スター(タンブリン)である。さりげなくエレキギターで入ってくるジョージはセンスがいいなぁ。でも僕はレオン・ラッセルのベースが気に入ったよ。このベースは曲をドライブさせてくれる。「風に吹かれて」なんかはこのベースのおかげで、フォーク・ソングというよりロック・ソングになったのではないだろうか。

 

 

その勢いで「ミスター・タンブリン・マン」だ。ディランの声はツルピカ声である。しゃがれ要素は皆無だ。なのにロックしてる。ディランはバックの演奏なんてまるで気にしていない風だが、ジョージ、レオン、リンゴのバックは最強である。

 

 

それに観衆の反応が凄まじい。ジョージが紹介した途端物凄い歓声が沸き起こる。そして曲が始まるごとに大きな歓声だ。間奏の時まで歓声が沸き起こる。何て言ったって我らがスーパースター、ボブ・ディラン2年ぶりのコンサートだったからね。レコードは夜の部の方を録音したものである。「Just Like A Woman」が終わった後にいかにも次は・・・みたいな感じの雰囲気になるが、レコードはここでフェイドアウトだ。何でも「ラヴ・マイナス・ゼロ」を演奏したらしい。聴きたかったなあ。

 

 

ここからは(まあ、ここまでもそうだったが)、あちこちの記事を彷徨って分かったことである。

 

 

・ジョージはディランに「風に吹かれて」をやってほしいとリクエストしていたが、ディランは難色を示していた。

 

 

・ディランはリハーサルには来たものの「こんなところじゃやれない」と辞退をほのめかした。

 

 

・ジョージは念のためにディランの代役としてバッドフィンガーを用意していた。

 

 

・体調不良だった(クスリのせいかな?)エリック・クラプトンは無事出演してくれた。しかしディランは直前になっても分からなかった。ジョージのギターに貼ってあった進行表には「ボブ?」と書かれている。果たしてディランはここに来ているのか?ステージ脇を見るとハーモニカをつけてギターを持っているディランがいた。すかさずジョージは「僕ら、そしてみんなの友達を紹介しよう。ミスター・ボブ・ディラン!」と言った。

 

 

ジョージが企画したこのチャリティーコンサートは当時前例のないもので、舞台裏は相当滅茶苦茶だったらしい(←具体的にどう滅茶苦茶だったのかは知らない)。そんな中当然目玉のディランが出るのと出ないのとではコンサートの成功度合いが大きく違ってくる。ディランが出るまで(少なくともステージ上は)順調だった。ステージ脇にいるディランの姿を見つけた時のジョージの気持ちって誰にも分からないよね。

 

 

いかん、ジョージの話になりつつある。このコンサートでのジョージの話はいつかまた、ということにして、今日は終わろう。映像はあるのかな?映画になってたっけ?YouTubeで検索してみよっと。

 

 

今日は朝から学校に行ったら、教頭が既にいて何やら難しい顔をしていた。750字のレポートを書いている最中だそうだ。僕みたいにチャラチャラ書く文章より、よっぽど重要なものだから750字って相当きついだろうな。

 

 

僕は明日に間に合うようにプリントを3枚作って、少し成績をつけて昼には家路についていた。今はレコードを聴きながら妻の帰りを待っている。

 

 

明日は本気で地獄の6連続授業だ。今まではテストやら何やらで誤魔化しつつ6限を乗り切っていたが、明日はそんなわけにはいかない。今週最後の力を振り絞って頑張ることにしよう。

 

 

そろそろ12月中旬以降のことを考えなきゃいけなくなってきたな。12月20日までは何としても授業をするとしても残り6日出勤しなければいけない。これをどうするか、だ。病休にするか、思い切って年休を使い果たすかのどちらかなんだけどね。

 

 

 

さあ、妻が帰って来たぞ。夕飯作りを始めるとするか。

 

 

 

じゃあね!!