久しぶりに本を読んだ

只今午前1時30分。リビングの明かりは全開にしてある。いかんよ、これはいかん。昨夜は、夕食を作る気になれなかったので、妻にレトルトカレーを買ってきてもらい、二人でぼそぼそと食べた。そこから調子の悪さが続いてるようだ。

 

 

今から一通り書きたいことを書いたら、寝る努力をしてみよう。

 

 

先日、本を読むことと映画を観ることを同時進行していると書いたが、読書の方にエンジンがかかり、久方ぶりに読破することができた。って言ってもインタビュー本なんだけどね。

 

 

本のタイトルは「ルースターズの時代」(今井智子著)。ルースターズの音源がサブスク解禁になったことや、初期のライヴアルバムが発売されたことを受けて企画された本である。



ルースターズに関するこの手のインタビューは、色々な雑誌で読んできたが、一冊にまとまったものはこれが初めてである。結成前から解散後まで、ルースターズに関わった数々の人の言葉を聞くことができる優れものだ。

 

 

まあ、知ってることの方が多かったが、「そうだったのか」と思ったこともあった。

 

 

 

一番の驚きは、後で加入してきた下山淳が、「ルースターズサウンドの核は大江慎也のギターによるものだったと思い知らされた」と言っていたことだ。ドラムの池畑でもなく、ベースの井上でもなく大江のギターだったということに結構衝撃を受けたな。すごいギタリストだな、とは思っていたけれど、あの下山淳がここまで言うとは思わなかった。

 

 

これは僕にとっては大事なことなので引用させてもらおう。

 

 

―大江さんの状態も心配な時期ですよね。彼の存在はやはりルースターズにとって大きいと思います。

 

下山:そうだろうと思う。俺が入ってから、昔の曲もリハーサルするじゃない?大変だったんだよ。「こんなことやってんだ、こいつら」って。もちろん最初からそれは分かってて、すごいバンドと認めてたけど。  ~中略~

 

(ハードコアばっかりやってて)だからルースターズはできるかなと思ったらあにはからんや。「すごい難しいな」って思って。ロックンロールなんだけど、普通のロックンロールじゃないんだよね。しんどさが違う。独特で。

 

で、だんだん知っていくわけ、なんでそうなったか…だいたい大江くんがやってるんだよね、ギターは。花田がやってると思ったら、実は大江だった。  ~中略~

 

 

―グルーヴ感みたいなことですか。

 

下山:うん、芯のところで。「どういう感覚でやってるか」みたいなことが知りたかったんだけど、とんでもないことだった。  ~中略~

 

だから大江くんのギターが重要だったんだなって気がしたね。すごい弾き方してる。アバウトそうだけど、そうでもなくて。あれは、大江くんにしかできない。

 

 

 

 

この発言を読むことができただけでも読んだ価値があるというものだ。下山淳が大江慎也をこんな風に思っていたなんて知らなかった。

 

 

 

さてと。今日もどうなるかは分からんが、記事を書くのは一旦ここでやめよう。眠ることができるか挑戦してみるとするか。

 

 

 

結果発表です。少し眠ることができました。コーヒーを淹れ、ぼうっとしていたら妻が起きてきた。例によって学校での出来事を色々話しかけてくる。僕は余裕を持って受け答えすることができた。

 

 

今日は、段ボールを整理し、リサイクルボックスまで持っていくことができた。歯医者のアポを取った。ギタ練を少しした。最近の僕にとってはよく頑張った方だ。

 

 

 

 

それでは。

 

 

 

定型(ブルース)の中で自由(フリー)に動き回る

フリーというのはイギリスのバンドで、1969年にデビューをしてから6枚のスタジオアルバムとライヴアルバム1枚を残している。

 

 

「トンズ・オブ・ソブス」(1969)・・・全英圏外

「フリー」(1969)・・・全英65位

「ファイアー・アンド・ウォーター」(1970)・・・全英2位

「ハイウェイ」(1970)・・・全英41位

「フリー・ライヴ」(1971)・・・全英4位

「フリー・アット・ラスト」(1972)・・・全英9位

「ハートブレイカー」(1973)・・・全英7位

 

 

上のディスコグラフィを見ても分かるように、3作目の「ファイアー・アンド・ウォーター」でブレイクした。これについては後に述べることにして、今日はその前作の「フリー」について書いてみたい。



おっと忘れていた。フリーは、ブルースに影響を受けたハードロックバンドという位置づけで認識されている。ヴォーカリストのポール・ロジャースは、ロッド・スチュワートロバート・プラントと並ぶ人として評価されていたような気がする。最近で言うと(最近ではないか)クイーンに在籍していたこともある。僕は彼の暑苦しい歌い方がどうも馴染まなくて長年敬遠していた。

 

 

アルバム「フリー」に話を戻そう。僕は、このアルバムのベストテイクはA面1曲目の「アイル・ビー・クリーピン」だと思っているが、そのことについてはだいぶ前にちらっと記事を書いたことがある。

 

hanami1294.hatenablog.com

 


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その時にも書いたが、この曲の(あるいはこのバンドの)肝は、そしてバンドをドライブさせているのはベースではないかというのが今回一番言いたいことである。

 

 

ベーシストの名前は、アンディ・フレイザー。デビューした頃は18か19歳だった。その若僧の弾くベースがかっこいいんだよね。

 

 

 

何て言えばいいのだろうか。意識的にかは分からないけれど、跳ねた感じがするベースである。このベースがブルースという定型の中で自由に動き回り、バンドの性格を決めているように思う。ギタリストのポール・コゾフも才能豊かな人で、ハード且つファンキーなギターを弾くんだけれども、アンディの跳ねたベースとポールのファンキーなギターが絡み合う箇所はぞくぞくする。

 

 

アルバムタイトルに自身のバンドの名前を付けたのだから、満を持しての作品だったのだろう。しかし結果は全英65位と惨憺たるものだった。

 

こんなエピソードがある。

 

ある日のコンサートは観客の反応が最悪だったらしい。そのまま自分たちの足音を聞きながら(つまり観客の拍手が聞こえない状況)、ステージを降りるメンバーたち。そして楽屋で「このままじゃいかん。ロックンナンバーを書かねば」と言い出したアンディが口ずさんだのが次作で大ヒットする「オール・ライト・ナウ」だったという(ホントかどうかは分からない。ウィキに書いてあった)。10分で「オール・ライト・ナウ」は完成したらしい。ここら辺はロックンロール神話っぽくて楽しい。

 

 

僕が初めてフリーを聴いたのが、高校生の頃だ。「フリー・ライヴ」が名盤らしいぞと分かって購入したのだが、まず大ヒット曲「オール・ライト・ナウ」の良さが分からなかった。しかし、ベースだけはやたらかっこいいなあというのは小僧の僕でも分かった。

 

 

まあその話は置いておいて、とにかく「ファイアー・アンド・ウォーター」でバンドとして「仕上がった」フリーは今も語り継がれるバンドの一つになった。僕は「ファイアー・アンド・ウォーター」の安定ぶりも好きだけど、前作「フリー」のそれこそ自由に何でもやってやるぞ、という姿勢が好きだ。何よりジャケットがそれを物語っているではないか。

 

 

 

よくロックおやじは「どの時期の○○が好き?アルバムで言うと?」という話をするが(僕はする)、フリーも短命ながらそんな話になるバンドである。

 

 

 

 

 

 

昨日はなかなか大変な日だった。朝に保留事項を書き上げてみると、7つあった。車のこと、それに伴う保険のこと、退職後の動向を入力すること、生命保険の見直しについて、タワーレコードへの返品、歯医者の予約、買い物である。

 

 

最初の3つは相手があることなので、しゃーない待つか、と思っていたが、一向に連絡がない。痺れを切らせた僕は、外に出て郵便局に行き、買い物を済ませた。

 

 

連絡があったのは15時過ぎだった。校長から連絡があり、すったもんだした挙句、やっと退職後の動向についての入力をすることができた。苦手な人と電話でややこしい話をするのはとても疲れる。いやー、冷静さを保つことはできなかったな。

 

 

それにしてもなんでスマホでは上手く入力できなかったことをくどくどと「何で?何で?」としつこく訊くのだろう。ログインできなかったんだから仕方ないじゃない、だからパソコンでやるからデータが欲しいと言ってるだけなのに、と思った僕であった。ちょっと悪口になってるかな?今更だけど。

 

 

 

さて、只今午前5時になろうかという時刻である。今日は何かしら進展があるだろうか。

 

 

 

それでは。

 

 

只今15時30分。何にも進展はない。困ったものだ。しかし待っているばかりの僕の姿勢にも問題がある。何でもすればいいのだ。しかしこれがなかなか・・・というところである。

 

 

 

午前2時に今年下半期を振り返る

7月

 

パソコンが壊れた。6月から騙し騙し使っていたのだが、ついにうんともすんとも言わなくなったので、仕方なく新しいやつを買った。買ってからもう5か月になるが、未だにキーボードと仲良くなれないでいる(打ち間違えが非常に多い)。

 

 

荒井由実の「ミスリム」を聴いて感銘を受ける。今年は昨年と比べて更にいろいろな音楽を聴くようになったが、荒井由実かぁ、と自分で自分に驚いた。あとは、モリッシーのソロアルバム、ザ・スミスのアルバムを聴いていたが、未だに記事にできていない。どっちも最高なんだけどなー。

 

 

8月

 

ハイレゾ音源ってどうなん?と音質のことに拘り始める。JUNさんの来訪をきっかけに真空管アンプを購入する。雑味が消えて艶がある音になった、と自分では思っているがホントかどうかはもう分からない(こういうのはすぐに慣れてしまいがちだ)。

 

 

ストロークスの「The New Abnormal」とジョージ・ハリスンの「クラウド・ナイン」が印象に残った。ジョージはこの後「慈愛の響き」も購入したが、しみじみとしたいいアルバムだった。

 

 

9月

 

何だか分からないが、このブログでレコードを1枚紹介する記事が増えた。ディランの「ハード・レイン」、佐野元春の「カフェ・ボヘミア」、スティーリー・ダンニック・ドレイク、プリテンダーズ等だ。1日に何回も聴いてから夕方書き始めていたように思う。

 

 

サボっていたウォーキングを開始するが、クマ騒動のため、場所を変更せざるを得なくなった(現在1週間サボり中。天気も悪いんだけどね)。

 

 

10月

 

9月から始まったレコード紹介シリーズが続く。いやー、今思えば取りつかれていたなあ。キング・クリムゾンイーグルスザ・ストロークス、ジェイク・バグ、矢野顕子四人囃子ポール・サイモンXTCジョー・ペリージョージ・ハリスン、オーリアンズ、スパークスボズ・スキャッグス、スティング、ジョニ・ミッチェル(計15)についての記事をせっせと書いていた。

 

 

レコードプレーヤー購入。音がまた変わった。カートリッジが変わったことが大きいと思った。

 

 

11月

 

まだレコード紹介をしている。ポリス、ソフト・セル、ニール・ヤング等だ。レコードを綺麗にするレコクリンを購入し、せっせとレコードを磨いていた。すればするだけ音は良くなったので嬉しかった。

 

 

先週の金曜日、車で事故った。そこから時間が止まったみたいになっている。車はまだ戻ってこないし、保険屋からの連絡もない。一体どうなっちまってるんだい?

 

 

日が暮れるのが早くなった。つまり寂しい気持ちになる季節になったということだ。その寂しさをリッキー・リー・ジョーンズやマリア・マルダー、ジョニ・ミッチェルで紛らわせている。特にリッキーの「浪漫」にはお世話になっている。っていうか今年一番聴いたアルバムかもしれない。

 

 

 

 

 

 

今日は朝の9時から、来年度の意向調査について県庁のサイトにアクセスして・・・という手続きを試みていた。しかし上手くアクセスできないので電話をしたところ、丁寧に教えてくれた。その後再び試みたが、失敗に終わった。全く何してたんだろう。まあ来週早々に、校長から連絡があるはずなので、それまでの我慢だな。こんなこともできないなんて、と自分を呪いながら午後を過ごした。

 

 

自動車事故やらタワーレコードへの返品やら、再任用の手続きやら保留事項が増えていくばかりで、何ともストレスが増す日々である。11月中に解決しようと思ったが、それはスッパリと諦めて今年中には何とかしたい。

 

 

今の僕の支えは、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」だ。この作品はジャズ音痴の僕でも素晴らしいと分かる。僕のイメージするジャズという音楽が形になった感じがする作品である。毎日これを朝聴いて、気持ちを高めていくぞ。

 

 

 

それでは。

 

 

 

午前1時に今年上半期を振り返る

昨晩22時47分に地震があった。僕の住んでいる地域は震度4だった。寝ていた僕は妻に叩き起こされた。そして地震に備えた。正月よりも揺れはひどくなかったとはいえ、地面が揺れるのは気持ちが悪い。今回は横揺れだった。(体感で)10秒は続いたと思う。

 

 

その後すぐに実家に電話をかけて、母に様子を聞き、まだ続くようなら迎えに行くと言った。

 

 

そしてしばらくはリビングにいたが、「寝るわ」と妻に声をかけて寝室に入ったのが23時半前。しかし午前1時には目覚めてしまった。リビングに行くと妻はまだいた。

 

 

「寝ないの?」と訊くと、妻は2階は怖いからここで寝ると言う。困ったなーと思いながら構わずレコードをかけ「これくらいの音出すけど大丈夫?」と訊いてみた。「大丈夫」と言われた。それならば仕方がない。ここで寝てもらいましょう。

 

 

というわけでぼうっとするわけにもいかなくなったので記事を書いている。テーマは「今年を振り返って」にした。もうサブスクでは音楽を聴いていないので、アップルミュージックを調べても意味はない。ブログの記事を1月から見ていくしかない。さあ、始めるか。

 

 

 

 

1月・・・元旦に能登地震起こる。その時僕はバッドフィンガーの「マジック・クリスチャン・ミュージック」(1970)を聴こうとしていた。ホントに聴いたのはだいぶ経ってからだった。しばらくはさすがにのんびりと音楽を聴く気になれなかった。

 

 

2月・・・仕事にとことん疲れ始める。多分もう長期の休みに入る決心をしていたはずだ。ヴァン・モリソンの「アストラル・ウィークス」(1968)にいたく感動した覚えがある。この頃から音楽はレコードで聴くようになった。

 

 

3月・・・ふらふらになりながらも10日間仕事をして1年の締めをすることができた。この時は既に退職のことを考えていた。イーグルスをいろいろ聴いたり、デヴィッド・ボウイの「ロウ」(1977)の素晴らしさにやっと気づいたり、美空ひばりの「川の流れのように」(1989)にいたく感動したりしていた。

 

 

4月・・・本格的に休みに入った僕は、ウォーキングとともに音楽活動も盛んになっていった。記事は、ジェフ・ベックジョニ・ミッチェルボブ・ディランザ・ストゥージズジャクソン・ブラウン頭脳警察XTCについて書いていた。今読み返してみると、どれも聴き方が浅く初級編といった感じだった。

 

 

5月・・・4月下旬から禁煙するようになっていたからそこら辺はきつかったはずである。ポール・マッカートニーの「マッカートニー」(1970)にいたく感動した覚えがある。ケイト・ブッシュの「魔物語」(1980)、ジャクソン・ブラウンの「プリテンダー」(1976)、ビートニクスをよく聴いていた。

 

 

6月・・・大枚はたいてスピーカーを買った。これが僕の人生最後のスピーカーである。そのスピーカーで聴くクラフトワークの「人間解体」(1978)は最高に気持ちよかった。Andymoriという日本の若いバンドを初めて知った(といっても2009年のアルバムだけどね)。そのグループのヴォーカル&ギターだった小山田荘平のアルバムの曲「マジカルダンサー」はもしかしたら今年のランキング上位の曲になるかもしれない。

 

 

ふう。これくらいにしておこう。7月から11月はまた今度書こう。

 

 

 

 

 

今日は、早目に記事を書いたので、気楽に過ごすことができた。少し読書でも出来たし、映画も観ることができた。このあとも読書をしたいと思っている。

 

 

 

それにつけてもやはり地震は怖い。また揺れるかも、とどこかで思いながら過ごすのは精神的に良くないな。

 

 

 

それでは。

 

 

 

久々に心を搔き立てられた

只今午前2時。中途覚醒の方は相変わらずである。でも5時間ほどは寝られたかな。だから元気よく何かを書いてみよう。

 

 

深夜に文章を書く場合、勢いに任せて書いちゃうので、日中に大分推敲しなければいけない事態に陥りがちだ。何でだろうね。生々しすぎるのかな。

 

 

 

今日は、ニール・ヤングについて書いてみるぞ。

 

 

最近ニール・ヤングのセカンドアルバムというか、彼が初めてクレイジー・ホースと組んで作ったアルバムを聴いたんだけど心が掻き立てられた。正直言ってこんな気持ちになったのは久しぶりのことだ。



 

掻き立てられるとは、「心を刺激し、ある心情を強く起こさせるさま」だそうだ。

 

 

いやー、確かに心が刺激されちゃったよ。特に「ダウン・バイ・ザ・リバー」と「カウガール・イン・ザ・サンド」。この2曲で聴くことができるニールのギターソロは圧巻である。なんで今まで聴かなかったのだろう。大失敗である。

 

 

彼のその後の轟音ギターの原型がここにあった。繰り返すが、これを今まで聴かなかったことは人生における大失敗のひとつである。

 

 

「ダウン・バイ・ザ・リバー」なんか、ソロの初めは僕でも耳コピできそうな簡単なフレーズが続く。しかし魂の入り具合が半端ない。こんなに簡単なフレーズを誰にも真似できないように弾くニールは凄い。その後、徐々に指の動きが速くなり、だんだん混沌としてくる様も素晴らしいとしか言いようがない。

 

 

この2曲のギターソロこそが「ヘヴィロック」のギターソロだ。流麗さは欠片もない。見えるのは混沌とした何かを必死で表そうとしてもがいているニール・ヤングの姿である。僕は持っているニール・ヤング詩集を取り出して歌詞を調べてみた。全文引用させてもらおう。

 

「ダウン・バイ・ザ・リバー」

 

ベイビー、僕のそばにいておくれ それとも僕がそばに行こうか

身を隠す理由なんかないじゃないか ひとりでこんなところにじっとしているのはたまらない

きみなら僕を連れ出してくれるだろ

 

あの娘なら僕を引きずっていき 虹の彼方に追っ払うこともできたはず

あの川のほとりで ベイビーを撃っちまった

あの川の岸辺で横たわる死体 僕は恋人を撃ち殺してちまった

 

僕の手を取っておくれ 僕は君の手を取ろう

一緒に逃げるんだ ずらかるんだ

こんな狂気と悲しみだらけの時代から

何ひとつうまくいきっこない今日からおさらばしようぜ      (室矢憲治訳)

 

 

 

前にニールの詩を書いた時にも拳銃で撃ったとか物騒なことを歌っていたような気がするが、彼にとっては比喩でも何でもなく(勿論実際に撃ちはしないが)、非常に切迫した気持ちを表したものなんだろう。

 

 

「狂気と悲しみだらけの時代」と言うが、狂気と悲しみを纏っているのはニール・ヤング自身ではないだろうか。それが最も我々に伝わりやすいのが、ギターソロということになる。

 

 

 

 

「掻き立てられる」のもう一つの意味は「ある心情を強く起こさせる」だ。僕も「ダウン・バイ・ザ・リバー」を聴いてそうなった。

 

 

それは歌を書きたいという欲求だ。昨年は映画「パーフェクト・デイズ」を観ておんなじような気持ちになった。でも途中で挫折した。今回もこのアルバムを聴いていろいろな言葉が頭を飛び交うようになった。こんな歌を書きたいという朧げなものは浮かんだが、形になるかどうかはまだ分からない。

 

 

 

取り敢えず3時になったのでもう一度布団の中に入ろうと思う。それでは。

 

 

 

 

やっぱりこのまま記事をアップするのは恥ずかしいね。歌を書きたいだって。何をそんな大それたことを思ったのだろう。でも面白いからこのままにしておこう。

 

アルバムの話に戻るけれど、聴くたびに気合を入れなきゃいけなくなっている。何度も書くが久しぶりにのんびりと聴くことができないアルバムに出会ってしまったな。

 

 

じゃあ、今度こそ終わることにしよう。おやすみ。

 


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目の前まで来て歌ってくれる男

5日もブログを休んだら書き方を忘れちゃった。ウォーミングアップとしてどうでもいいことから書いていこう(本人は結構真剣なんだけどね)。

 

 

まずはここ最近とみに睡眠状況がよくないことから書いていこう。何故中途覚醒が激しいかは分からない。仕事のことを考えるようになったからだろうか。昨日なんて20時前に急激な眠気が襲ってきて寝たんだけど、23時には目が覚めてしまった。

 

 

ここからが苦しかった。眠いけれど眠れない。いろいろ試したが眠れない。それでも最後には数時間は眠ることができた。もうすぐ5時になる。今日は、いや今日も日中うつらうつらするんだろうな。何回も睡眠事情については書いているけれど慣れないものですな。

 

 

暗い話もなんなので、今度はお風呂の話題にしよう。

 

 

僕は、お風呂(というかシャワー)で、洗顔→洗髪→体を洗ってから髭剃りをして終了していた。この順番は、僕が髭を剃るようになってから変わっていなかった。つまり40数年間この順番だったわけである。これは自分が編み出したものではなく、おそらく銭湯で父がそういう風にしているから自然に真似したんだと思う。

 

 

その順番を最近変えてみた。理由は寒いからである。ここ数年、シャワーをする時の寒さが身に染みるようになり、洗面所にヒーターを導入するまでになった。それで十分洗面所と浴室が暖まってからシャワーをしていた。それでも寒いもんは寒いんだけどね。

 

 

洗う順番の話だった。ふと思いついてこういう順番に変えてみた。洗顔→洗髪の次に髭を剃り、最後に体を洗ってみた。そしたらこれがすこぶるいい感じなんだよね。

 

 

寒さが襲ってくるのは、体全体を洗った後だ。それを最後に持ってくることで、髭剃りの最中、震えなくて済む。これはいいぞ、となったわけである。

 

 

しかし、40数年間、気づかなかったのかねぇ。自分でも呆れる。よって残りの人生はこの順番で洗うことを決心した次第である。

 

 

 

さてと、ウォーミングアップもこれくらいにしておこう。タイトルの話にいってみるか。目の前まで来てくれて歌ってくれる男。この男の名前は、ニール・ヤングである。いかにもな感じでしょ?

 

 

前回の記事では、レコクリンで「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」を綺麗にしてレコードを聴いてみたら、びっくりしたと書いたが、調子に乗って「ハーヴェスト」もレコクリンでキレイキレイしてみた。長年の汚れを落としたあとに聴こえた音が凄かった。



まずはバックの音である。ドラムやスライドギターが目の前で鳴っている。僕の好きな言葉を遣うと生々しい音、である。まるで家に演奏団がやって来たかのようだった。

 

 

その音に乗せてセンターからニール・ヤングの声が聴こえる。僕の目の前だ。これほどの幸せがあろうか。この5日間、僕は「ハーヴェスト」と「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」をとっかえひっかえしてひたすら聴いていた。

 

 

ジャケットの裏にはこんな写真が載っている。



こんな感じで家に来たと思える録音だった。きっとニール・ヤング本人は録音にも拘っていたのだろう。「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」よりも更に近く感じられる音である。

 

 

最初に中途覚醒の話を書いたが、目が覚めて僕がしたことは、汚れていると思われるレコードを綺麗にすることだった。一昨日はその様子を妻に見られてしまった。「なんか楽しそうにしてるね」と言われたが、そうなのだ。楽しいのだ。そしてお楽しみはその後にもやって来る。

 

 

というわけで、レコクリンも残り半分となった。少し綺麗にするレコードを厳選せねばなるまい。

 

 

ニール・ヤングに話を戻すと(そんなに大した話じゃないけど)、以前の記事にこんなようなことを書いた覚えがある。

 

 

松村雄策曰く「ニール・ヤングは、(ライヴの時に)観客一人一人に向けて歌っている。しかしミック・ジャガーからはそんな匂いは感じられない」。

 

 

ライヴじゃなくてレコードでもニール・ヤングは一人一人に向けて歌っている。そんなことがよく分かる2枚のアルバムだった。こんな熱い心を持った男だからこそ、轟音ギターを鳴らすまでになったのだろう。

 

 

「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」収録の「サザン・マン」でのギターソロはすごいよ。


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それでは。

 

 

 

朝起きて最初に聴いているレコード

サッカリンさんの動画を見ていたら、レッド・ツェッペリンのレコードは音圧が低く作られているらしい。どうやらデカい音で聴くように作られているとのことだ。

 

 

ストーンズの「レット・イット・ブリード」も同様に「デカい音で聴いてください」と書いてある。ビートルズは小さい音で聴いてもメロディと音圧があるので良さが分かるらしくて、ツェッペリンの方は「音を浴びる」くらいじゃないと良さを体感できないそうだ。レコード、スピーカー・大音量が理想で、それが無理なら高性能なヘッドフォンで聴くといいよって言っていた。

 

 

僕はツェッペリンのⅢを聴いて「あれっ?こんなショボかったっけ?」と思ったのも音量が原因だったのかもしれない。なるべく早期に確かめてみたいものである。だったら今聴けよって話なのであるが、残念ながら今はツェッペリンモードではない。

 

 

 

じゃあ何モードなんだ?ってなことで早速タイトルの話にいってみよう。

 

 

朝起きて最初に聴くLPはというと・・・ソフト・セルのアルバム「The Art of Falling Apart」(1983)である。昨日のザ・ポリスよりももっともっとマイナーなバンドだと思うので分からない方の方が多いだろう。僕も実はよく分かってないんだよ。



 

レコード屋さんでふっと目が合って何気なく買ってしまう。そして何の期待もしなくて聴いてみると、じわじわとその作品の魅力にとりつかれてしまう、そんなことってあるでしょ?僕だけかな。まあとにかくこのソフト・セルというバンドのことはほとんど知らないけど、今僕の頭の中で常に鳴ってるんだよ。

 

 

僕も知らないから調べてみよう。

 

 

「ソフト・セルはイギリスの音楽ユニット。マーク・アーモンドとデイヴ・ボールの二人。ニュー・ウェイヴの代表的なグループのひとつである」

 

 

これくらいは僕でも知ってるし、マーク・アーモンドも知っているぞ。ブロンスキ・ビートのアルバムでジミー・ソマーヴィルとデュエットしていた人だ。ちょっと暑苦しいかな、くらいに思ってたように記憶している。

 

 

「当時最先端のアンダーグラウンド音楽だったスロッビング・グリッスルキャバレー・ヴォルテールなどの影響を受けていた二人は、もう一つの彼らの共通のルーツであったノーザン・ソウルの要素を文学的な歌詞にのせて、ノイジーなエレクトロニクスに取り込むという斬新なスタイルでリーズを中心に活動していた」

 

 

なるほど。何がなるほどか僕もよく分からないが、多分ノーザン・ソウルっていうところが今の僕に引っ掛かったんだな、と思う。

 

 

「1981年にグロリア・ジョーンズの1964年の曲をカヴァーした『汚れなき愛』が大ヒットし、全英シングルチャートで1位となり、全米チャートでも最高で8位、43週間もチャートした」

 

 

そう言えばそんなこともあったかもしれない。ファーストアルバムのジャケットは覚えているけれど、曲は聴いたことはないな。サブスクで聴けるだろうけれど今はまだ聴かないでおこう。

 

 

 

僕が何故こんなにこのアルバムに肩入れしているのかはよく分からない。まあエレポップな感じは嫌いではない。それに気持ちが盛り上がるんだよね。例えばアルバム最後の曲(タイトル曲)はこんな感じである。  ↓↓↓  


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どう?盛り上がらない?

 

 

 

僕には、時々エレポップ(←これでいいのか使っている僕もよく分からないけど)がどうしようもなく聴きたくなることがあって、そんなときには決まってまずブロンスキ・ビートを聴くことにしている。そこからデュラン・デュランの「プラネット・アース」やらMの「ポップ・ミューヂック」やら果てはデッド・オア・アライヴの何だっけ?大ヒットしたやつまで聴くことがある。

 

 

その波とソフト・セルが上手く嚙み合ったのだろう。とにかく朝起きたらこれを聴かなきゃ気が収まらないのだ。それが1週間ほど続いているのだ。

 

 

だからポリスがどうとか書いてるけれど、こっちが今の本命なのである。もう惚れちゃっているのである。そしてこのアルバムをしゃぶり尽くしたら、デビューアルバムや他の音源を聴きたいと思っている。

 

 

僕のソフト・セルブームは今始まったばかりだ。

 

 

 

今日は、姉が東京に帰る日だった。車で実家に行ってから、実家の改装についていろいろ話し合った。話し合うと言っても僕は頷くだけである。これはあれだな、もう少し母のことを気にかけてやってねと言われる流れだな、と思って覚悟していたら「あんたが今(母のことを)受け止められないことは十分分かっているから」と言われた。心の中で泣いた僕であった。

 

 

 

それでは。

 

 

 

リムショットとハイハットで曲をドライブさせる男

土曜日は家族行事の日だった。母の米寿のお祝いの催しがあったのだ。「あったのだ」って何て他人行儀なんだという話だが、母との関わりが非常に薄い僕にとってはつまりはそういうことなのだ。

 

 

姉がセッティングをして11月2日に旅館で宴を開くけど参加するかと訊かれたのが10月の上旬である。勿論僕に否という選択肢はない。参加者は姉と義兄、母と僕と妻である。もしかしたら甥2人も参加するかもしれないとのことだった。

 

 

10月中は、このことがボディブローのように僕を攻め立てていた。きっと糾弾されるに決まっている。もっと母と関りを持つべきなんじゃないかと言われるに決まっている。その時僕はどう言うだろう。どう言えばいいだろうと悶々としながら暮らしていた。

 

 

正直言って直前までどうやって逃げ出すか、そのことばかり考えていた。しかし時は待ってはくれない。遂に土曜日になってしまった。

 

 

暗い気持ちのまま旅館に行った。参加者は僕も含めて7人。つまり先ほど書いたメンバーが全員揃っていたのだ。これはまずいことになるかもしれない。僕は軽く挨拶した後は黙ってみんなと一緒に食堂に向かった。

 

 

こうやって家族が一同のもとに会するのは久しぶりだったので、最初は少し硬い雰囲気だった。それを和らげたのは何と僕だった。母親(僕にとっては姉)に敬語を使う甥っ子(弟の方)をイジりつつも、どんな仕事をしているかを聞いたり、兄にも仕事のことを聞き出し、いろいろな質問をしたりして、彼らがたくさん喋ることができるよう心を砕いた(つもり)。

 

 

そして姉と義兄の方にも顔を向け、浜田省吾の話題を持ち出した。2人はその話題に付き合ってくれて場は和やかな空気に包まれた(と思う)。一番恐れていた義兄とは普通に話すことができた。というわけで、食事会が始まるなり僕の仕事モードが発動したひと時だった。僕は完全に先生モードになって、色々な人に話しかけ、話を引き出していくことができたのだ。耳の遠い母にも聞こえるように時々大きな声で、話したりもした。

 

 

 

そんなこんなで2時間弱の時間を過ごした僕は、母を家に送り届けてから帰途に着く頃にはぐったりとしていた。妻からは「さすが商売人の息子やね。すごかったわ」とよく分からない評価をされた。とにもかくにも大きな家族行事を終えた僕は翌日までダメージを引き摺っていたことから眠くてしょうがなかったのかもしれない。

 

 

 

 

さあ、タイトルの話にいこう。男の名前はスチュワート・コープランド。ザ・ポリスのドラマーである。ザ・ポリスのことはご存知だろうか?もう伝説になってるのかな?

 

 

「ポリスは、1970年代後半から1980年代半ばにかけて活躍したイギリスのロックバンドである」

「ロックに、レゲエの要素を加えた音楽性はホワイト・レゲエとしばしば呼称された」

「当初は、パンク・ムーブメントに乗ってデビューしたが、その後は、メンバーの音楽的資質を柔軟に取り入れたロックをリリースし続けている」

 

 

多分一番有名なのは、1983年に発表された5枚目のアルバム「シンクロニシティ」であろう。シングル「見つめていたい」はイントロを聴いただけで「ああ、これか」と思う人も多いはずである。

 

 

でも僕は(前にも書いたが)1枚目と2枚目のアルバムが好きなんだよね。シングル「ロクサーヌ」を初めて聴いた身としてはやはりポリスと言えばこういう感じだろう?と思ってしまう。

 

 

そんで今聴いてるのがセカンドアルバムの「白いレガッタ」(1979)だ。このアルバムでは「孤独のメッセージ」が大ヒットしたが、僕としては「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」を推薦したい。これも大ヒットした曲だ。



 

この曲のハイハットリムショットベードラだけを聴いてみてほしい。それだけでぶっ飛んじゃうから。どうしてもスティングのヴォーカルやベース、アンディ・サマーズの渋いけどキャッチーなギターに耳がいきがちになるかもしれないが、この曲をドライブさせているのは間違いなくスチュワート・コープランドのドラムだって分かるから(←珍しく断言)。


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そういうわけで今は毎日1回はこの「白いレガッタ」を聴いている。でも大大大ヒットした「シンクロニシティ」への興味も高まっている。大ヒットしたアルバムにはちゃんと理由があることがやっと分かった僕としては、じっくりと聴いてみたい作品だ。そこでどんなドラムを叩いているのかも興味がある。

 

 

さてと。今日も凪のような1日が終わろうとしている。粛々とシャワーをして夕食を作ろう。

 

 

 

それでは。

 

 

 

この作品なら分かるぞ ~ポール・サイモン編~

ポール・サイモンって知ってる?サイモン&ガーファンクルポール・サイモンだよ。「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「明日に架ける橋」などのヒット曲は、全米チャートで第1位に達したあのサイモン&ガーファンクルだよ。

 

 

ソロになり、着実に作品を発表していてヒット曲も生み出している。僕もヒットした曲は大好きだ。でもアルバム全体でってなるとどうもよく分からなかった。昨日のジョニ・ミッチェルと同じ感じである。でもまあ、昨日と同じように分からなくても聴き続けていきたい作品である。

 

 

そしてこんな鈍感な僕でも分かるって思える作品に出会うことができた。それが今日紹介する「グレイスランド」(1986)である。



 

このアルバムって確か南アフリカ共和国が絡んでいたことで、結構非難されてたような気がするんだけど。でも後でグラミー賞とってなかったっけ?うろ覚えで申し訳ないんだけど。

 

 

久しぶりにウィキに頼るか。

 

 

長くなるけどサクッと引用しちゃおうかな。

 

 

「バンドグループ『レディスミス・ブラック・マンバーゾ』など南アフリカ共和国のミュージシャンと協力して制作された」

 

「このことは当時アパルトヘイト政策を行っていた南アフリカ共和国に対する西側諸国の文化的ボイコットを妨害するものとして、サイモンに批判が集中することになった」

 

 

やはりそうか。合っててよかった。それにしてもポール・サイモンサイモン&ガーファンクル時代からのリズムに対する追及をやめない人だったんだな。南アフリカ共和国のミュージシャンと組むというのも純粋に彼の音楽的な追及のためだというのは、それまでの彼の活動を見れば分かる。

 

 

でも当時は反アパルトヘイト一色だったからな(世界情勢オンチの僕でも伝わっていた)。彼にとってはリスキーなことだっていうことは十分分かっていただろうけれどやっちゃったんだな。

 

 

「アルバムは高く評価され、イギリスやフランスなど世界各国でチャート1位を獲得。アメリカでは3位が最高だったが、これまでに500万枚の売上を記録している。グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞」

 

 

これも合っててよかった。なんやかんや言って当時の僕は(主にロッキングオンが情報源だったけれど)色々な方面に目配りしていたんだな。まあ、聴くのは今回が初めてだけど。

 

 

 

確かに1曲目からアフリカンな要素を取り入れ、「こんな感じでいきまっせ」と分かるようになっている。でもキャッチーなんだよね。特に2曲目の「グレイスランド」はアフリカンテイスト&分かりやすいメロディで聴く者の心を鷲掴みにする。


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A面はこんな感じでご機嫌な曲が続くけれど、B面になってもその勢いは止まらない。1曲目の「コール・ミー・アル」のリフは、小沢健二が丸パクリしたことで有名(多分)だ(「ぼくらが旅に出る理由」)。


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このアルバムは、曲がキャッチーで分かりやすいと書いてけれど、演奏もご機嫌だ。特にベースとパーカッションだな。それを聴いているだけでも幸せな気持ちになるよ。

 

 

今日はこのへんで。(ちょっと尻切れトンボ)

 


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ホントはアフリカンテイスト満載のこんな曲がお気に入りだったりする。

 

 

 

 

分からないことを楽しもう ~ジョニ・ミッチェル編~

先週の金曜日は何かと(僕にとっては)大変だったことは前回書いた。その後の土日もそれはそれで心が動くことがあったのでそのことから書き始めよう。

 

 

まずは、待ちに待ったドジャースヤンキースワールドシリーズが始まった。第1試合は、フリーマン選手の劇的なサヨナラ満塁ホームランでドジャースが勝利した。フリーマンが打った瞬間は文字通り膝を叩いて喜んだよ。

 

 

そして、第2戦は山本由伸選手が先発だ。これが素晴らしかった。6回1/3を1安打1失点という無双ぶりを見せつけた。しかししかし、7回裏に大事件が起こる。

 

 

四球で出塁した大谷選手が、盗塁を試みたが、アウトとなった。この時、彼が地面に倒れたままでタイムをかける。マイクが彼の声を拾う。

 

 

「肩が外れた」。そのままトレーナーに手を添えられて退場する。その後のシーンは大変印象に残った。

 

 

会場が静まり返っているのだ。大谷アウトで7回裏のドジャースの攻撃が終わり、8回表にコーペック投手が登場し、投球練習をし、打者に向かい投げ初めても球場は静まり返ったままだった。僕の心はざわついていたが、球場にいた人たちもきっとそうなのだろう。「大谷、大丈夫か?」「もしかしてこれでワールドシリーズ終了?」と誰もが思ったはずだ。

 

 

日本人ならそういう風に思うのは分かるけど、アメリカの人も大谷選手のことをリスペクトしているのだろう。もっと言えば心の支えにしているのかもしれない。前の記事で大谷選手が今やチームの精神的支柱になっていると書いたが、お客さんにとっても同じだったということが伝わってきた時間だった。

 

 

今日のニュースでは、大谷選手は検査の結果、大けがではなく無事ニューヨークに行ったと伝えていた。明日の第3戦にも今のところ出場するらしい。しかし無理だけはしないでほしい(と多くの人が思っているはず)。

 

 

 

 

MLB話はこれくらいにして、次は選挙だ。僕は野球の結果を見届けてから選挙に行った。あとは選挙速報を待つだけだ。

 

 

結果は与党の過半数割れという事態になった。だいぶ前から言われていたけれど、国民は自民党公明党にお灸を据えたのであった。ここまではいい。多くの国民が望んだ結果になっただろうと思う。となると次、どうするんだろう?である。立憲民主は?国民民主は?

 

 

立憲民主はちょっと票を取り過ぎたかもな。調子には乗らないでいただきたい。政権を取りに行くなどと血迷ったことを言わないことを願うばかりだ。国民民主はくれぐれも自民党の甘言に乗らないでいただきたい。玉木、総理大臣にはなるんじゃないぞ。

 

 

こんなもんかな。ああ、そうだ。診断書は無事土曜日にもらうことができて、今朝学校に持って行った。嫌なことは早めに片付けるに限るし、それを実行できて一安心だ。

 

 

校長に中身を確認してもらい、退職金についての話もできたしまあ良しとしよう。それから帰り際、保健室を覗いたら養護教諭がいるのを見つけて手を振ったらわざわざ戸を開けて挨拶してくれた。嬉しかったなあ。今年度のことをいろいろ聞いて(今年度働いていたら確実に途中で潰れるだろう内容だった)から帰途に着いた。休んで正解だったと改めて思った。

 

 

 

さて、字数もだいぶ来ているのに、まだタイトルの話ができていない。どうすっかな。

 

 

ジョニ・ミッチェルについて僕は2回ほど知ったようなことを書いた記憶がある。あるんだけど、やっぱりよく分かってないんだよね。それでも「六可レコード」に彼女のレコードが置いてあれば買わねばなるまい。今回買ったのは「夏草の誘い」(1975)というアルバムである。

 



これを何回も聴いているが、やはりよく分からない。何が分からないのかというと、まず曲の構成である。次にメロディである。つまり、どの曲も口ずさめないってことだ。例えばスティングのアルバムは一聴して「ああ、こんな曲なんだな」というのは分かる。何回か聴かなくても口ずさめる歌も多い。でもジョニの歌を歌うのって難しいんじゃないかなあ。そこが素晴らしいんだけどね。

 

 

こういう分からなさを抱きつつ魅了されているのが、彼女の声と歌いっぷりだ。いつの間にかこの声じゃないとダメっていう気持ちにさせられることに気づく。時に喋るように歌う歌いっぷりも魅力的だ。動画で他のミュージシャンに歌って見せている場面があったが、みんなに語りかけるように歌い、やがて歌になっていく様にみんなが見とれていたのが印象的だった。

 

 

だから僕はもうこれでいいじゃないかと思ったのだ。曲の構造やメロディラインが分からなくってもいい。そのまま彼女の歌を受け止めようじゃないか。分からなくてもとりあえず受け止めるのは得意な僕だしな。

 

 

おっと、でも音はいいよ。それくらいは僕にでも分かる。それからこのアルバムのB面の「Harry’s house/Centerpiece」と「Shadows and Light」が素晴らしいことも分かる。「Centerpiece」では前半とは打って変わり突然ジャズモード(調べたらジャズスタンダードナンバーだった)になって大変楽しめる。「Shadows and Light」はとにかくジョニの声とコーラスにウットリするばかりだ。

 

 

今日はこれくらいにしておかないと。週の初めだしね。

 

 

 

それでは。